星野仙一も驚いた...「朝8時にホテルのドアでノックが、開けるとまさかの...」球界のドン「ナベツネ」の《圧倒的》だった業界再編への行動力
「ナベツネ」はいかがなものか
「読売本社、東京ドームだけでなく御用達のホテルや行きつけの店。自宅も当時はセキュリティがどうなんて時代じゃないからマンションの部屋のドアをコンコンと叩けば話してくれたりした。不在だと奥さんが出てきて『まだ帰っていませんよ』と気さくに応じてくれた。元々、女優をされていた方だけど感じの良い人で『ナベツマ』と呼ばれて記者の間でも慕われていたね。 運転手付きの外車で毎晩のように政治家だったり、経済人だったり要人との酒席に顔を出すような人だったから、我々も車で追いかけたりもした。特に酔って自宅に帰ってくるところが狙い目で、一面になるような暴言も多かった。車内にはいつもクラシックが大きな音で流れていたことも印象に残っているね」(前出・スポーツ紙担当記者) 誰が言い始めたか、紙面には「ナベツネ」という通称が躍った。同記者は楽しそうに振り返る。 「『ナベツネ、吠えた』『ナベツネ、酔談』とかね。我々も調子に乗って取り上げすぎたものだから、読売新聞の社長になって半年ほどして広報担当者から『弊社の社長をナベツネと呼び捨てにするのはいかがなものか。好き勝手に見出しを立てるようなことも考えてもらいたい』といったクレームを受けたよ。ナベツネさんがオリックスのことを『金貸し』呼ばわりしたときは、球団の幹部が慌てて謝りに行ったこともあった。 本人も言い過ぎたときは反省していたと聞いたけど、それで言動が変わるような人じゃなかった。我々とのやりとりの中でも怒って『もうしゃべらん』と捲し立てたことは何度もあるけど、たいていは2、3日も経てば何事もなかったように話してくれた。本当に面白い人だった」
「社長業は大変なんだよ」
球界関係者も渡辺さんの行動力は圧倒的だったと敬意を評する。 「驚かされたのは05年の星野仙一さんの巨人監督招聘。これまでも今も巨人の外様監督は誕生していないけど、当時阪神のシニアディレクターだった星野さんの擁立に本気で動いていた。星野さんがホテルオークラに滞在しているとき、朝の8時に部屋のドアをノックする音が聞こえて開けると、そこにナベツネさんがいて『巨人の監督をやってもらいたい』と伝えられたという。御年80歳で、星野さんもさすが超一流の新聞記者だと感嘆したそう。 その前年、選手会に対しての『たかが選手』発言で世論を敵に回した04年の球界再編問題。もちろん球団数を縮小していたらプロ野球はすたれていたと思うけど、合併で2球団を削減して10球団による1リーグ制を目指すなんて、普通のオーナーでは思いつくことすらできない。根回しからなにから人脈を駆使して実現に向かっていた。巨人ありきとよく言われたけど、本当に球界全体のことを考えていたと思う」 前出・スポーツ紙担当記者は読売新聞社社長に就任したことについて質問した際の渡辺さんの返答を今もよく覚えている。 「『社長業は大変なんだよ。2、3年で辞める』と話していた。それが実際には会長時代も含めて最期まで絶対的な影響力を保持し続けた。権力は手放せないものなんだろうね。 球界でもドンとして君臨し続け良くも悪くも注目を集め、盛り上げてくれた。毀誉褒貶の人だったけど、読売のトップで巨人についてこんなにあけすけに話した人はいない。それだけ思う気持ちが強かったんだろう」 名物オーナーの名は今後も球史において異彩を放ち、消えることはない。 ……・・ 【もっと読む】ナベツネが若かりし日、「戦場」に持っていった「意外な書籍のタイトル」
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