TikTokで流行の「#ストリートスナップ」は“写真表現の未来”となるか
◇「盗み見ること」と向き合った写真家ウォーカー・エヴァンズ 端的に言えば、「写真を撮る場合には十分に注意しなければならない」ということが人々に広く了解されたのです。そのなかにあって「シリアスな写真」の担い手たちは、批判に対し安直な「合意」とは異なった回答を模索していきました。 その先駆的写真家として、ウォーカー・エヴァンズ(1903-1975)の名をあげておきたいと思います。彼は1938年から1941年にかけて、ニューヨークの地下鉄の乗客を撮影しました。コートの中に隠したカメラを絶妙にコントロールして、向かい側の座席に座る乗客を「盗撮」したこの連作は、カメラの存在に気づかない無名の市民を捉え、讃えようとした試みでした。 しかし、エヴァンズが地下鉄の連作を最終的な完成形として発表したのは、1966年の写真集『多くの人が呼ばれている(“Many Are Called”)』においてでした。20年以上も公表を遅らせた理由としては、ニューヨークでの地下鉄での撮影が不法行為であったこと、プライバシーに対する配慮、50年代初頭のマッカーシズムの影響などが考えられています。 ですが、実際にエヴァンズの発言をみると、明らかに彼は「盗撮」という行為の罪深さを意識しながら、あえて自分へ倫理的な負荷をかけつつ、「凝視すること」に強い写真美学的な信念を持って対象へ向かっていることがわかります。つまり、視線の権利行使と倫理的審問との相克に彼が要した時間が、20年という長い歳月だったのではないかと思われるのです。 一方のTikTokの「#ストリートスナップ」に話を戻すと、路上で他人へ声をかけて短期的に知己となる過程をコンテンツとして見せる様式は、やはり「シリアスな写真」としての「ストリート・スナップ」が危機に瀕している現実の陰画のように思えます。 そこでは撮る側は「合意」のためにへりくだり、撮られる側は「合意」にもたれかかることで、自己/他者を装飾する「強い」「個性的な」被写体があらわれます。視線の非対称性はあたかも無効化されたかのように遮蔽され、「ありのまま」や「素顔」は焦点を結ばず、もっぱらコミュニケーションを介して演出された肖像のみが前景化するのです。 その意味においては、TikTokの「#ストリートスナップ」は、自己にも他者にも負荷のかからない、すなわち「すぐに忘れられても構わない/定着を拒絶する」フロー型のショートコンテンツとして現代に最適化されているのです。