【書評】スパイ戦争に立ち向かう:北村滋著『外事警察秘録』
プーチン大統領との会談
それから25年後のことだが、北村氏は2020年1月、安倍首相の命を受け、国家安全保障局長としてロシアのプーチン大統領とモスクワ近郊の大統領公邸で会談した。北村氏は前週に、ホワイトハウスでトランプ大統領とも会談している。当時、日露平和条約交渉の進展が期待されており、プーチン氏とは首脳会談に関して話を交わした。 約40分の会談が終わって退室しようとする北村氏に、大統領はこう言葉をかけてきた。「同じ業種の仲間だよな、君は」 プーチン氏はKGBの元諜報員で、北村氏をインテリジェンスの世界の同じプロと認めた発言である。その一言を別れ際にあえて繰り出すセンスは、プーチン氏が大統領であると同時に、依然としてインテリジェンスの世界の人間であることを物語っていた。
中国工作員が暗躍した闇の事件
中国に関しては、米オバマ政権が推進しようとしたTPP(環太平洋パートナーシップ)への日本参加の妨害工作が描かれている(2012年摘発)。日米関係の足並みを乱して同盟解体を狙った画策は、在京中国大使館の一等書記官が日本の政財界人脈を広げ、日本がTPP加入を見送れば、中国側が日本産のコメ100万トンを輸入し、レアアース禁輸措置を解除すると持ち掛けているというものだった。 コメ余りと、レアアース不足は当時の日本経済の急所で、わが国を知り尽くした中国ならでは仕掛けだった。この一等書記官は1993年に友好都市の職員として来日し、その後、大学付属機関に研究員として入るなどして、“日本専門家”となった。だが、人民解放軍との関係は隠していた。警視庁は、一等書記官が民間人として取得した外国人登録証を不正に用いたことなどの容疑で出頭要請したが、一時帰国してしまった。 「この事件は、中国の工作員が我が国に深く入り込み、影響力を行使し、政治工作を展開したものだ。そこでは、機密文書が持ち出されたり、公費支出された日本側事業主体から中国側に約1億4000万円ものカネが送金され、使途不明のままとされたりと、政治的には背景も責任の所在も判然としない、極めて闇の深い事件であった。」 最終章の文末に、北村氏の外事警察とインテリジェンスに対する熱い思いと誇りが述べられている。 「情報は、時に人命を守り、各領域の安全保障の優劣を決し、国運を左右する。外事警察は、かかる情報を国家のために収集し、保全し、活用に資する「インテリジェンスの闘い」の常に最前線に在る。」 「特別付録」として巻末に、長年仕えた安倍首相への追想が記されている。内閣情報官の総理への定例報告はそれまで週1回だったが、総理からの指示で週2回になった。北村氏は昨年に出版された『安倍晋三回顧録』の監修を務め、生前の安倍氏の長時間インタビューを支えた。2人はとても深い信頼関係で結ばれていた。
【Profile】
斉藤 勝久 ジャーナリスト。1951年東京生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞社の社会部で司法を担当したほか、86年から89年まで宮内庁担当として「昭和の最後の日」や平成への代替わりを取材。医療部にも在籍。2016年夏からフリーに。ニッポンドットコムで18年5月から「スパイ・ゾルゲ」の連載6回。同年9月から皇室の「2回のお代替わりを見つめて」を長期連載。主に近現代史の取材・執筆を続けている。