「夫の億単位の借金がかさみ、娘の学費に影響も」安藤和津 人生初の土下座と子育てで守り抜いたこと
億単位の借金返済と2人の娘の子育てに実母の介護も行ってきた安藤和津さん。それでも「自分は家族の犠牲になったわけじゃない」と言いきります。(全4回中の4回) 【画像】「この顔立ちは令和でもイケメン」安藤和津さんと結婚した奥田瑛二の若かりし頃の家族写真など(全12枚)
■娘の制服を知らないうちに持ち出して ── 夫の奥田瑛二さんが映画制作に没頭するあまり、一時は億単位の借金をつくったこともあったそうですね。 安藤さん:映画は撮り始めているのに、お金は一銭もない。スタッフのお弁当代も、娘たちの学費すら払えない。あのときは「なすすべがないとはこういうことか」と痛感しました。
当の本人は監督として好きな映画づくりに没頭していて、他のことは目に入らない。信頼していた人にお金を横領されて、借金が億単位に膨らんでも、現実と向き合う余裕もなかったと思います。 だから私が家中のあらゆる金目のものを売り払ったり、知人が紹介してくださった方に融資していただくために土下座をしてお願いしたりしていました。 人生初の土下座でしたけど、あのときは恥ずかしいとはまったく思いませんでしたね。「これで倒産を免れるのであれば」と必死でした。そんなふうに腹をくくる場面が山ほどありました。
── 当時、長女の安藤桃子さんはロンドン大学芸術学部に在籍中、次女の安藤サクラさんは高校生と、学費がかさむ時期だったのでは? 安藤さん:そうなんです。美術を学びたいとロンドンに留学した桃子に、その道の途中で学校を辞めさせることはとてもできませんでした。でも現実問題として払えるお金はない。 本当にどうしようと悩んでいたところ、桃子がみずから大学側に「父が映画監督で資金難で学費を払えない。せめて分割払いにしてもらえないか」と掛け合ったところ、分割払いにしてもらえてなんとかなったこともありました。彼女も相当な覚悟で掛け合ったのでしょう。結果的には次席で卒業できて、本当によかったなと安堵しました。
娘たちも苦労したんです。桃子は、日本に帰国したときはキャリーケースの車輪が壊れても買い替えられなかったので、スーパーのレジ袋に荷物をパンパンに詰め込んで帰ってきたくらい(笑)。 次女のサクラも、学校の制服を夫がイベントに使うからと持ち出して、そのまま行方不明になってしまったんです。制服なんて一着しかなかったらすごく困るじゃないですか? 高校の卒業式は、制服の白線が一人だけ灰色になっていて、胸がチクチク痛みました。その後、引っ越しをするときに事務所の洗濯場の奥に山積みになっている衣装の下から制服を発見しましたが、時すでに遅し…なんてこともありました。