日本でもっとも有名な哲学者による最重要キーワード…「純粋経験」が生まれた「驚きの事情」
---------- 明治維新以降、日本の哲学者たちは悩み続けてきた。「言葉」や「身体」、「自然」、「社会・国家」とは何かを考え続けてきた。そんな先人たちの知的格闘の延長線上に、今日の私たちは立っている。『日本哲学入門』では、日本人が何を考えてきたのか、その本質を紹介している。 ※本記事は藤田正勝『日本哲学入門』から抜粋、編集したものです。 ---------- 【画像】日本でもっとも有名な哲学者がたどり着いた「圧巻の視点」
「哲学」と「思想」
本書『日本哲学入門』の第1講では、具体的なテーマについて論じるに先だって、まず哲学という学問が日本においてどのように受け入れられ、定着していったのかをふり返る。最初、重要な役割を果たしたのは、東京大学で教鞭を執った外国人教師のフェノロサやケーベルなどであった。その後、哲学という学問が定着し、日本人の手によって独自の研究成果が生みだされるようになったときに活躍したのが西田幾多郎や田辺元らであった。このような歴史を概観したあと、──先ほど触れた問題であるが──普遍的な真理の探究という哲学の課題と、それをとくに「日本の」という視点から考察することとのあいだの問題について考えたい。さらに日本では「哲学」から区別して「思想」ということばが用いられる。なぜ両者が区別されるようになったのか、その事情と妥当性についても考察を加えたい。 明治時代の初め、まったく知られていなかった哲学という学問に接したとき、それを理解するのは容易なことではなかったと想像される。第2講ではそこに焦点を合わせ、この時代に哲学がどのような関心から読まれ、どのように受容されていったのかをたどってみたい。それはとりもなおさず、当時の人々──具体的には西周、福沢諭吉、中江兆民を取りあげる──が従来の世界観のどこに問題を見いだしたのか、新たに接した学問、とくに哲学のなかに何を見いだしたのか、さらにそれをどのような形で新しい社会のなかに生かそうとしたのかを見ることになる。