現実をドラマと捉える...松下幸之助も語った「何をしても上手くいかない状況」の乗り切り方
万物は陰と陽。必ず「もう1つの側面」が存在する
いきなり「ニュートラルにとらえる」といわれると、ハードルが高いと感じるかもしれません。そう簡単に感情は切り離せないものだからです。 それならば、ある出来事に対して感情が生まれるとき、あるいはその前の時点でも、すべての物事には「もう1つの側面」があると考えてみてください。「明日は我が身」や「人間万事塞翁が馬」というように、幸が不幸に、不幸が幸にいつ転ぶかがわからないので、一喜一憂しないようにすることです。 ここで、目に見える世界と見えない世界について考えてみましょう。目に見える世界は「陽」であり、目に見えない世界は「陰」です。 世の中はすべて「陰と陽」でできており、必ずもう1つの側面があります。上に示したものは「陰陽太極図」といわれるもので、白が「陽」、黒が「陰」を表しており、天地万物あらゆるものは陰と陽のバランスによって成り立っていることを示しています。 世の中はまさに、この太極図のようにできているのです。ですから、まずは出来事に対して感情が起こったとしても、一旦落ち着いて、「その出来事のおかげでどんなもう1つの側面があったか」を考えるようにしてみましょう。 例えば、子供の頃にいじめられた経験があったとします。これはとてもネガティブな出来事だと思いますが、一方でいじめられる人の気持ちがわかったり、優しくなれたりします。 乗り越えることができれば、将来はいじめで困っている人を助けたり、撲滅運動のような使命にもつながっていったりするかもしれません。 一見するとネガティブな出来事が、世の中の役に立つ糧になり得ることもあるのです。このように、出来事をプラスにもマイナスにもとらえる量子思考の考え方は、柔軟そのものです。一側面だけではなく、いろいろな観点から見ることでモノの見え方は変わってくるのです。
陽中の陰、陰中の陽でどん底からも脱出する
「考え方はわかったけど、それでもどん底にいる人には通用しないだろう」 ここまで読んでみて、そんな風に思われたかもしれません。確かに、柔軟になるといっても、どん底状態の人はその境地にはなれないかもしれません。「もうダメだ」「人生これまで」と感じてしまったときに、いきなり出来事と感情を切り離すのは難しいでしょう。 少し私の話をすると、2023年に仕事でニューヨークへ行きました。その際に不注意で私は眼鏡を踏み壊してしまいました。私の視力は0.01なので眼鏡がないと何も見えません。作り直すにもレンズがなく、日本に帰るまでそのまま過ごさなければいけなくなりました。 さらに、レストランで食事をしているときに、シーフードを食べた直後に歩けなくなり、その後、車いす状態になりました。そのままニューヨークで3日間を過ごすことになり、予定していたことが何も楽しめなくなってしまったのです。 結局、日本に帰ってからクリニックで検査などをしましたが、原因不明でした。その後、足の裏が膿んでいることがわかり、治療して歩けるようになりましたし、眼鏡も作り直しました。ですが、ニューヨークで過ごした3日間はまさに、どん底の精神状態でした。そのとき、私が考えたのが「陰中の陽、陽中の陰」でした。 先ほどの太極図を思い出してください。陰陽それぞれの中に魚眼のような白丸と黒丸が描かれています。これが陰中の陽、陽中の陰で、「どん底でもうダメだと思ったときの救いの手」を表しています。 ネガティブで、どん底で苦しい中でも必ずそこには陰中の陽があり、それに気づければ陽転させることができます。私の場合は、「目の不自由な人の気持ちを知る機会」「足の不自由な人の気持ちを知る機会」と考えました。 結果的に助かったので「結果論ではないか」と思われるかもしれませんが、それでも陰中の陽に気がつかないと終わってしまうので、あきらめずに陰中の陽があることを知り、アンテナを張ることが大事なのです。