世界中で大ヒット「ゲルカヤノ」の生みの親・アシックス榧野さんってどんな人?
WWD:新入社員なのに、いきなり大抜擢ですね。
榧野:入社したばかりでバスケに必要とされる機能もよく分かりません。体育の授業のバスケも苦手で、いい思い出がなかった。上からは「過去のバッシュをベースにしながらデザインしろ」と言われて、いきなりコートに立たされたわけです。今では考えられない無茶ぶりですよ。でも工業デザインを学んできたおかげで、人の足で負荷がかかったり、曲がったりするのはこの辺りだろうなと想像はつきました。
後から振り返ると、スポーツシューズにおけるデザインの重要性が増してきた時代でした。従来の常識にとらわれない若手を登用しようという気運だったのでしょう。3社統合でアシックスが誕生してわずか10年(シューズのオニツカ、スポーツウエアのジィティオ、ニットウエアのジェレンクが1977年に対等合併)。総合スポーツメーカーとしては黎明期でした。せっかくの高性能をデザインとしてうまく表現できていないのが会社の課題だった。そんな時代にスポーツシューズの世界に飛び込んだのです。
WWD:バッシュでいえば、マイケル・ジョーダンが履いた「ナイキ」の“ジョーダン“シリーズが一世を風靡し、白ばかりだったバッシュがカラフルになっていった時期ですね。“ゲルエクストリーム“にはどう取り組みましたか。
榧野:とにかくカッコよさを追求しました。アシックスのバッシュは高品質だけど、地味過ぎてもったいないと感じていました。スポーツには必ず美しい瞬間があります。そこから着想を広げるのが僕のやり方です。バスケでいえば、迫力あるダンクシュートや堅実なサイドステップに美を感じ、イメージを膨らませました。
初めて米国に出張した際、飛行機から眺めたグランドキャニオンや摩天楼のビル群に感動しました。アメリカの景色から得た着想を靴底に取り入れました。機能的なことは先輩方に助言をもらいながら作り上げました。NBAの契約選手に履いてもらうため、チームカラーを取り入れることになりましたが、人気チームであるロサンゼルス・レイカーズのチームカラー(黄色と紫)すら知らなかった。本当に手探りだったけど、思い出深い一足です。