3打席連続本塁打記録を持つ“伝説の人“阪神LT掛布雅之氏は史上初の球宴中止に何を思う…「寂しいが仕方ない」
NPBとJリーグが合同で立ち上げた「新型コロナウイルス対策連絡会議」及び、12球団代表者会議が11日、オンラインで行われ、斉藤惇コミッショナーは「第二波、第三波の可能性もある。本日、この時点で一定の日をハッキリ置いて開催を決めることは誰であってもできない」とコメント。政府の緊急事態宣言解除に向けての指針と新型コロナの感染状況を見ながら次回の「対策連絡会議」が開催される22日にも開幕日を決定したい考えを示した。「なんとか来月中に開催したい」(斉藤コミッショナー)と6月19日が第一候補だが、選出期間が短く、レギュラーシーズン120試合の確保のためと、7月19日(PayPayドーム)、20日(ナゴヤドーム)で開催予定だったオールスターゲームと、7月13日(坊っちゃんスタジアム)のフレッシュオールスターの中止が決まった。1951年にスタート、今年で70回目を迎えるはずだった球宴の中止は史上初。交流戦に続き、ファンにとって楽しみな試合がまたひとつ新型コロナ禍により消滅してしまった。
球宴は自信と使命感を感じる成長の場
真夏のお祭りが消える。 11日、NPBはオールスター及びフレッシュオールスターの中止を発表した。「新型コロナ対策連絡会議」では専門家チームが「第二波、第三波は必ず来る。本日のこの時点で、開催の日付を確定するのは難しいのではないか」と提言。NPBは6月19日を第一候補に開幕日を決めたかったが、その提言を受けて決断を保留した。14日に行われる政府の専門家会議の答申と、政府の緊急事態宣言解除に向けた方針と、20日過ぎの時点での感染状況を加味しながら、早ければ22日の「新型コロナ対策連絡会議」で開幕日を決定したいという考えを示した。 だが、7月19、20日に行う予定だったオールスターの開催可否については、これ以上決断を遅らせることが難しく、選出期間が少ないことと、野球協約に従い、シーズンを成立させるには120試合が必要で、その日程を少しでも確保するために中止が決定。NPBが公式サイト上で発表した。 今年で70回目を数えるはずだった夢の球宴は過去に数々の伝説の名場面を作ってきた。1971年、江夏豊の9連続奪三振、1984年、江川卓の8連続奪三振、1987年、清原和博vs桑田真澄のPL夢対決での本塁打、2004年の新庄剛志(当時登録名はSHINJO)のホームスチール…番外編だが、イチロー投手、故・野村克也氏の独自哲学に基づく松井秀喜との対決回避などもあった。そして伝説のシーンのひとつとして今なお語り継がれるのが1978年、後楽園球場で行われた第3戦における掛布雅之氏の3打席連続本塁打だろう。 「ハンシン・レジェンド・テラー」掛布氏は、今回の決定をこう受け止めた。 「寂しい。でも仕方がない。6月の下旬、或いは7月の開幕となれば、ほんの1か月程度で、ファンも球宴選手は選べない。レギュラーシーズンを成立させるための120試合を確保することのほうが大切だと思う。ファンが本当に見たいのはレギュラーシーズンの戦い。通算2000本安打に残り116本に迫っている巨人の坂本勇人らの記録を成立させるためにもシーズンを成り立たせることが最優先だろう」 掛布氏は、入団3年目となる1976年に球宴に初出場すると、その後、10年連続出場を果たした。1978年の衝撃の3打席連続本塁打だけでなく、1981年、1982年とMVPを計3度受賞。清原和博氏のMVP7度受賞には及ばないが、球宴通算8本塁打は5位タイの記録。まさにお祭り男だった。 掛布氏は「オールスターは選手を成長させる場。10年連続で選出していただき、毎年、毎年、自分の立ち位置を再確認する場所だった」という。 「『あの場所に立ちたい!』と憧れたのは、1975年の甲子園で行われたオールスターを隣の虎風荘(選手寮)のテレビで見たこと。3番の山本浩二さんと6番の衣笠祥雄さんが2打席連続でアベック本塁打を打った。赤ヘル旋風と呼ばれる年で、そのままカープが優勝するんだが、それくらい衝撃的だった」