《第1子男児誕生の仁科克基》「僕は無精子症でした…」明かした男性不妊の苦悩、“心も体も痛い”夫婦で乗り越えた「妊娠18カ月生活」
採取した精子は、女性側の体内で卵子を育てて排卵前に取り出し、その卵子に精子を直接注入する顕微授精(ICSI)を行う。成長した受精卵(胚)を子宮に戻して着床すれば、妊娠できる可能性がある。ただ、その過程には投薬や注射による採卵準備、採卵のための手術、そして培養させた胚の子宮内への移植と、少なくとも数カ月にわたり、物理的・精神的な負担がともなう。それでも、夫婦は一縷の望みをかけ、治療に臨んだ。 「妻は毎日、数種類もの薬を飲んで、自分自身で注射を打たなきゃいけない。薬の副作用もあったと思うのですが、急に泣き出したり、悲しんだり苦しんだりと、メンタルが不安定になる時期もありました。彼女は本来なら問題なく自然妊娠できるのに、相手が僕だったばっかりに、痛くてしんどい思いをして……。申し訳なくて、とにかく妻に謝っていました」 背中をさすり、ほとんどの家事も行ったが、できることは「妻の側にいることくらいだった」と、仁科さんは振り返る。それでも妻は「あなたも手術、頑張っていたし」と、治療を続けてくれたという。 卵子が育つと、全身麻酔による採卵手術が行われた。注射で卵子を育てる過程で卵巣が腫れてしまい、痛みを感じたというが、採卵と顕微授精の結果、3つの受精卵を作ることができた。そのうち1つを子宮内に移植し、夫婦はすがる思いで着床を祈った。そして約1週間後、医師から告げられたのは、待望の「妊娠」だった。
その瞬間、流れ出した「涙」
「本当に嬉しかった。無精子病の僕が、子どもを授かれるなんて……。一にも二にも、妻のおかげです。妻もやっと少し安心できたのか、その場でポロポロと涙を流していました」 奇跡的ともいえる妊娠に、互いの親も大喜びだった。妊娠後は産婦人科に移り、赤ちゃんも問題なく育っていった。今でこそ明るく話す仁科さんだが、妊娠に至るまでの苦悩、そして無事に生まれてくれるかという不安は、計り知れなかっただろう。今回、仁科さんが無精子症を打ち明けることを決めた思いを次のように打ち明けた。 「男性不妊だったからこその苦しみや、夫婦で乗り越えなければならない試練も多かったけれど、そのぶん命の尊さや、妻へのありがたみを身に染みて感じることができました。それに、一般的な人は妊娠から出産まで“10月10日”ですが、僕らの場合は受精卵という初期の状態から1年半くらいずっと見守り続けられたからこそ、“この子の父親になるのだ”という自覚も強く持てました。
そのなかで、自分の経験を発信していくべきなんじゃないか、という気持ちが芽生え、不妊の事実を公表することにしました。不妊と聞くと、どこか女性に原因があるように感じる人が未だにいるかもしれません。でも、僕みたいに無精子症だと、女性側には問題がないのに、すごく大変な思いをさせる場合もある。それを知ってもらいたくて……」 日々の子育ては「大変だけど楽しいです」と、柔和な笑みを見せた仁科さん。不妊治療を経て、夫婦の絆はより深いものとなり、親としての我が子との人生を歩み始めた。 (後編に続く) 取材・文/梶原薫 撮影/山口比佐夫
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