夫婦のあり方を考え直す。『1122』ドラマ化を機に原作者・渡辺ペコへ聞く、正解のない家族のかたち
離婚という選択肢も、全然悪くない
ー『1122』は、制度としての結婚がテーマだと思いますが、最終話では婚姻という契約を手放した一子と二也が、新しい関係をつくっていこうとする姿が描かれますね。この帰結には、どのような意図が込められているのでしょうか。 渡辺ペコ:先ほども少し触れましたが、初めからそうしようって決めていたわけではなくて、いろいろ描いていたら、やっぱり離婚することになっちゃった。私は、別れ──つまり離婚という選択も全然悪くないとは思っているんですよね。 でも、物語として考えたときに、もうちょっと頑張ってみようと思って。担当さんとも話して、一子とおとやんがここから(離婚して別々に暮らすようになってから)、それでも戻ろうとするなら何が必要かっていうことを、すごく頑張って考えた気がします。そのためにはウルトラCが必要かなって。その二人のかたちは結婚ではなくてもいいのかなと思ったんですよね。 制度が先にあるのではなくて、結局はその人と一緒にいたいかどうか──つまり生活をともにしたい、一緒に生きていきたいという思いが本来は主のはずなので、そこに戻ったんだなって。いま振り返ってみると、そこまで描けて良かったです。 ー新しい関係性をつくっていこうとする一子と二也に、希望を感じた読者も多かったのではないかと思います。それを描かれたあとで、ペコ先生の婚姻制度に対する考え方について変化はあったのでしょうか? 渡辺ペコ:『1122』を描いているときに結構考えたので、あらためて日常的に考えるっていうことはあまりないのですが、人の話や関連する報道を見聞きしたときには、結婚とは独特で「強い」制度だな、とは思います。 私の想像ではあるのですが、いまの若い人たちはそのへんをちゃんと理解していて、ともに暮らすにあたり良いパートナーを考える、探す、みたいな意識が強い印象があります。ちょっと前は社会や世間が目をくらませてくるっていうんですかね……。恋愛の帰結のような扱い方をしたりとか、本来であればスタートなのだから落ち着いて取り組んでいく大事なときなのに結婚式で大金を使わせるだとか、新婚旅行で子どもつくっちゃえみたいな「ノリ」のようなものとか、冷静さを失わせる仕組みがいっぱいあったんだなって、振り返ってみると恐ろしく感じます。 ー薄れてきているかもしれませんが、そういった社会や世間の雰囲気のようなものはまだあるように感じます。『1122』に限らずですが、先生は社会的な課題、例えばジェンダーの問題などを敏感にキャッチして、物語に落とし込まれていると思います。それはどうしてでしょうか? 渡辺ペコ:そうですね……社会的な問題が先にあるっていうよりは、人間同士の話を描こうとしたときに、私が気になっていたものが要素として一緒に出てくる場合が多いですかね。気になるから特定の社会問題を扱う、みたいなことはしていなくて。 物語って人間の感情で動く部分が大きいと思うのですが、感情だから何でもありになりすぎると、自分としてはあんまり面白くないというか、興味が続かないんですよね。社会のなかで生きてる人、つまり、その人と社会との擦り合わせや軋轢を描くと、自分の関心が続くんです。 ーそれは人間を描くとき、いまある社会的な課題から切り離せない存在であるから、ということでしょうか。 渡辺ペコ:すべての人が社会のなかで生きていて、例えば「自分は強く参加をしてない」と感じていたとしても、薄いながらも社会とのつき合いがあるはずで。私自身、自分のクリエイティビティから作品が生まれているというふうには思っていなくて。社会のなかに生きている一人の人間がつくるものだから、必ずいまの社会が反映されている。 だから何か描くとき、社会のどういう要素が出てくるかっていうのが、ちょっと楽しみでもあるんです。独創性や創造性より、自分に関していえば、この時代、この社会の一員として生きている自分がつくるものっていうところが大事だと思っていますね。 ー社会が変化し続けるなか、いま現在のタイミングで『1122』がドラマ化されることについては、あらためて何を思われますか。 渡辺ペコ:私が関心を持って描いていたときから時間が経っていますが、社会的な問題は一気に変わるものではないですよね。先ほども、二番煎じのように受け取られてしまう懸念をお話しましたが、問題が完全に解決した世界は訪れてないから、波のように何度も作品が生まれてもいいのかなって。別の方々が、別のかたちにして、社会に放ってくださった。それも必要あってのことなのかなと思っています。
インタビュー・テキスト by 今川彩香 / リードテキスト・編集 by 服部桃子