少子化なのに「不登校」激増の異常事態 「無理して通わなくていい」は正しいのか
昔にくらべてはるかにやさしい教育現場
筆者自身が小学校や中学校に通ったころ(昭和50年代)にくらべると、現在の教育現場は、児童生徒に対してはるかにやさしくなった。 当時は、宿題を忘れただけで体罰を受けたこともあったし、いじめのようなことをされて先生に相談しても、「男の子なんだから強くなれ」でおしまい。給食を残すことは許されないため、嫌いなしいたけなどは、吐きそうになりながら私は飲み込んでいたが、嫌いな食べ物が多い子は、午後の授業がはじまるまで給食を下げることを許されない、ということも珍しくなかった。 また、私は小児ぜんそくをかかえていたので、冬場の体育で走ったりすると発作を起こしがちだったが、相談しても一切配慮されず、発作を起こし、呼吸が止まりそうになりながら走っていた。当時も、その昔にくらべると教師の威厳が失われ、児童生徒の友達みたいになってしまったと指摘されていたのだが、それでも教師たちは児童生徒を、怒鳴ったり、時に体罰を加えたりすることもふくめ、いまにくらべるとはるかに厳しく導いていた。 こんな状況だから、私自身、学校に行きたくないと思ったことが何度もある。だが、そのころの私には、学校に行かないという選択肢はなかった。行かなくていいといわれれば、きっと行かなかっただろう。だが、そんな発想は皆無だった。それにくらべれば、いまの子供たちは守られているし、状況はずいぶん改善されたと思う。だが、その一方で、失われたものも多いといわざるをえない。 私が小中学校で日常的に受けていた指導には、いまならパワハラやモラハラとされるものも多いと思う。現在は、一部の部活動などでパワハラ指導が問題化することはあるが、子供たちを肉体的、精神的に追い詰めるような指導は避けるべきだという意識は、学校現場に周知されている。 それはいいのだが、子供が少しでも「厳しい」と感じる指導は、すぐに「パワハラだ」「モラハラだ」と指摘されてしまうので、しばらく前から小中学校で、厳しい指導がまったくできないと、よく聞かされる。