クロムハーツ×ミキモトのディナーパーティーに潜入! スターク家に訊くクロムハーツの今後
神宮寺勇太やミシェル・ヨーも駆けつけたごく小規模なパーティーでは、ミキモトとの新たなパールジュエリーから進行中の新たなプロジェクトまでの話が聴けた。 【写真を見る】クロムハーツ×ミキモトの新コラボレーションを記念したエクスクルーシブなパーティーの舞台裏
ある木曜日の夕方、ニューヨーク・ウェストヴィレッジにあるクロムハーツの旗艦店には、レザーを身に纏った人だかりができ始めていた。「ごく少人数です」と語るのは、この謎めいたアメリカの高級ブランドを、夫のリチャード・スタークと3人の子どもたちと共同経営しているローリー・リン・スタークだ。「家族、熱心なファン、編集者、映画スター、それにロックスター……これまで親しくしてきた人たちです」 クロムハーツは、ラグジュアリーファッションの世界において最も魅力的なブランドのひとつである。私がなるべく同ブランドを取り上げるようにしてきたのもそのためだ。それでも、関連記事は決して多くない。どのような基準で見ても、同ブランドがハリウッドで製作するハードコアなジュエリーやレザーグッズはハイプとは無縁なのだ。 ミキモトとの新しいパールジュエリーラインを記念して開催されたこのディナーパーティーについても、おそらくご存じの読者は多くないはずだ。スターク家は報道を求めないし、このイベントはブランドのInstagramにさえ投稿されなかった。ローリー・リンは、「宣伝が必要だからという理由でパーティーを開くのは好きではない」と説明した。 クロムハーツは、謎めいたブラックボックスのようだ。日本で刊行されていた『クロムハーツ・マガジン』(イギー・ポップ、シンディ・クロフォード、パメラ・アンダーソン、故カール・ラガーフェルド、シェールなど、クロムハーツを象徴するコレクターたちが表紙を飾った)以外では、同ブランドはほとんど宣伝をしない。何かを買いたい、あるいはそのときどきの在庫を知りたいのであれば、世界中に30以上ある店舗のひとつに行く必要がある。 ひとつ確かなのは、流行の移り変わりがあっても、クロムハーツはそのバロック的なバイカーの美学に忠実であり続けるだろうということだ。同ブランドのラインの多くは、90年代初頭にロックンローラーたちの間で銀製ハードウェアが流行したときと今も基本的に同じように見える。 しかし、ハイプは常にクロムハーツを見出している。ロックが衰退するのと同時に、ポップスターたちがこのブランドを受け入れた。次に、ヒップホップ・シーンがこれをステータスシンボルにし、K-POPスターやスポーツ選手がそれに続いた。文化の波がどこへ向かおうとも、そこにはクロムハーツがある。そしてこの日、ガラス張りの陳列ケースの奥に並ぶわずかな品々を見る限り、その熱狂は留まるところを知らないように見えた。 ■あくまでも仲間だけのパーティー このディナーは話題作りのために企画されたものではなかったが、スターク家は珍しくキャッチアップに応じてくれた。最近では、一家が同じ場所に集まることは滅多にない。広々としたブティックのウッドパネル張りの1階では、堂々とした革製のブロントサウルスの置物の近くで、クロムハーツの創業者リチャード・スタークが、ローリー・リン、娘のジェシー・ジョーとフランキー・ベル、そして長年の顧客で友人の芸術家マリーナ・アブラモヴィッチと一緒に写真撮影をしていた。 スターク家の一員でここにいなかったのは、フランキーの双子の弟クリスチャンだけだった。彼はその夜、カリブ海のサン・バルテルミー島で自身のパーティーを開いていたのだ。彼が17歳の若さでクロムハーツのブティックをオープンした場所だ。 黒檀の階段を上ると、バカラの黒いクリスタルのシャンデリアの下で、ミキモトアメリカの橋本靖彦社長が有名シェフのジャン=ジョルジュ・ヴォンゲリヒテンから渡されたウニを口に運んでいた。周りを見渡すと、多くのゲストがまるでアカデミー賞授賞式のような服装をしていたのが印象的だった。それも、パールをふんだんにあしらった黒いドレスのミシェル・ヨーを目にする前のことだ。彼女の服装はさておき、ファッションブランドのディナーに出席したアカデミー賞受賞者としては地味と言ってもいいくらいの佇まいだった。カメラマンは2人(スターク家の子どもたちの友人)だけで、インフルエンサーはひとりもいなかった。 近くのテーブルでは、ゲストたちがダイヤモンドをちりばめた完璧なパールのネックレスを吟味していた。杖をついた白いポニーテールの男性はヴァン・ヘルシングさながらに、クロムハーツのシグネチャーである十字架のレザーパッチでできたトレンチコートを着ていた。彼はドレイクを除いて、同ブランドのトロントでのトップクライアントだという。「クロムハーツはコラボレーション相手として完璧なパートナーです。伝統的なラグジュアリーの境界線を押し広げるような、堂々たる反抗的なエネルギーをもたらしてくれますから」と、橋本は語った。 「このコラボレーションには5年かかりました」と、ジェシー・ジョーは付け加える。両親にパールを使ったジュエリーラインのアイデアを持ち込んだのが彼女だ。クロムハーツのコラボレーションは一般的に単発のものは少なく、気まぐれに実現するものではない。バカラ、リックオウエンス、コム デ ギャルソン、ウエスコなど、クロムハーツのパートナーシップは何年にもわたる傾向がある。 ミキモトとの新しい関係については「長続きすると思う」と、リチャードは明らかに誇らしげに語った。夫妻は常に、子どもたちがハリウッドの工場で自分の手を動かすことを望んできた。現在21歳のクリスチャンは、小学生のときに父親と一緒に最初のレザージャケットをデザインし、フランキーは自分の水着のラインを持ち、ファッション学校でハンドバッグのデザインを学んでいる。 近頃、後継者たる子どもたちは、このファミリービジネスでさらに積極的な役割を果たすようになってきている。厳密には両親の主催とはいえ、この夜はジェシー・ジョーのパーティーだった。レースのビスチェに身を包み、首には真珠とダイヤモンドのネックレスを着けた彼女はこの夜、少人数の友人たちとダンスを踊ったり、几帳面に仕事をこなしたりを交互に繰り返した。 数年前、ロンドンでの音楽キャリアを追求するために日常から離れた彼女は、現在ではホームでの役割を受け入れると同時に、新曲を発表したりもしている(ハロウィーンにはニューシングルをリリースし、クロムハーツの仮装パーティーで祝った)。 「私はいつも舞台裏にいましたが、今は自分の足を固めて、地に足が着いた感じで、ブランドの中での役割を自分のものにできていると思います」と、彼女は言う。「(クロムハーツから)身を引くことは難しいです。それは私たちきょうだいの核であり、血ですから。だから私たちは方向性を決め、自分たちが学んだことをブランドにもたらしたいと思っています」 彼女の両親もそれを期待しているようだ。「三代目が家業を潰すとよく言われます」と、ローリー・リンは言う。彼女は二代目を正しく教育することによって、「そのジンクスを打破したい」と言う。クロムハーツの将来については「とても楽観的に考えている」と、リチャードも付け加えた。「家族を愛しているし──それは当たり前のことですが──仕事相手としても好きなんですよ。これはいいことです。そうとは限りませんからね」 ■クロムハーツの次なるプロジェクト カクテルアワーの間、ローリー・リンはハーレム聖歌隊によるサプライズ・パフォーマンスを用意していた。クロムハーツの雰囲気は「アメイジング・グレイス」というより「悪魔を憐れむ歌」なのだが、会場に宗教的な図像が大量にあることを考えると、いくぶん相応しいジェスチャーだと感じられた。 バンケットテーブル、白いレザーのクッションベンチ、バカラのクリスタル・ワイングラスおよびウォーターグラス、キャンドル、ナプキンホルダー、聖歌隊の後ろにあるバスケットボールのフープ、トイレにある黒檀のハンドルのプランジャーに至るまで、すべてにブランドのロゴが入っている。この徹底ぶりは簡単なものではないと、リチャードは念を押す。「あなたが見ているものすべてがハリウッドで作られています。しかも一瞬でできるものでもありません。手作りですからね」 この夜、私はこの几帳面さがどこへ向かっているのかを感じ取った。2022年にクロムハーツの記事を書いたとき、ローリー・リンは彼女らが何らかのホスピタリティ・プロジェクトに取り組んでいると匂わせていた。オープンキッチンの近くにある彼女のオフィスに座ると、モダンフレンチの神であるヴォンゲリヒテンがオードブルを運んでいるのが見えた。そこにヒントが隠されているらしい。彼女はそのプランについて「大きく前進した」と言う。「私たちはホスピタリティ溢れる場を提供するつもりです」 それは、ゴシックで豪奢なスターク家のパーティーに誰でも参加できるとしたら?というものに聞こえた。もちろん、文字通り誰でもというわけにはいかないだろうが。「バー、レストラン、カフェ、リゾートになるかもしれませんが、とてもエクスクルーシブなものです」と、ローリー・リンは言う。ラルフローレンの「ポロ バー」のようなもの、ただし馬の代わりにハーレーダビッドソンを思い浮かべればわかりやすいかもしれない。 「メンバーシップはありません」とローリー・リンは言い、会員制クラブだろうかというこちらの考えをすぐさま否定した。「私の好みではありません。メンバーシップは必要ないのです。私たちは誰が仲間かわかりますし、彼らは会員権を買う必要はありません」 つまり、クロムハーツをたくさん買うほどのファンである必要はあるかもしれない。食事に関しては、彼らはヴォンゲリヒテンとパートナーシップを結んだ。彼はディナーの締めくくりに、食べられるひと連なりのフェイクパールに、ダークチョコレートの十字架のペンダントを載せたデザートを振る舞った。あまりにも精巧で、食べるべきか、身に着けるべきか、転売すべきか決めかねるほどだった。これも自然発生的なコラボレーションといえるだろう。「両親とジャン=ジョルジュの関係は相変わらずです」と、ジェシー・ジョーは言う。「私も、とてもクールなことだと思っています。一緒に成長してきましたからね。それは否定できません」 スターク家の誰に話を聞くかにもよるが、第1号はパリ(ローリー談)か、ニューヨークのワシントン・ストリート支店のすぐ近く(リチャード談)になるという。ドアの蝶番に至るまで、すべてハリウッドで作らなければならないため、リチャードはオープニングの正確な時期を言いたがらなかった。1年半後、あるいは2年後かもしれない。 クロムハーツの典型的なやり方として、彼らは教科書的な慣習に従うのではなく、自分たちにとってしっくり来ると思うことをやろうとしている。「ほかのすべてと同じように、私たちは少しずつ前進しているだけです」と、リチャードは言う。「“クロムハーツ・ホスピタリティ”という看板を大々的に掲げたいわけではなく、ただまたひとつの事業というだけなんです」 From GQ.COM By Samuel Hine Translated and Adapted by Yuzuru Todayama