【証言・北方領土】水晶島と国後島・元島民 佐藤健夫さん(1)
小さい島に小学校2つ
―水晶島の大きさはどれぐらいだったですか? 水晶島はね、端から端、ちょっと丸くはないんだけど、せいぜい10キロ未満だと思うんですね。場所によっては、もっと6キロぐらいのところもあるんでしょうし。平らな島。帯数でいうと、150世帯ちょっとでしょうかね。人数は約1,000人弱なんですよ。学校が二つあったんですよね。70人くらいの子供が登校してたんですよね。 ―お父さんとお姉さんは小学校の先生? そうです。小学校しかねえんです。 ―それ以上になると島から出る? そうそうそう。釧路とか、根室に出ないと、なかったです。はい。女学校とかですね。昔の旧制中学ですか。 ―島に商店街はあったか?どういうにぎわい方をしていたか? そうですね、小学校1年生の記憶ですからね、学校はちょっと海岸から離れた、中央っていうほどでもないですけども真ん中にありまして、馬がいっぱいいるから土手で囲まれてましてね、立派な学校でしたよ。その土手の上をぐるぐる回って遊んだりね。あとはみんなで海岸で遊びました。海入ってね、魚とったり、みんなで遊ぶっていうことはありましたね。 ―どんな魚がとれましたか。 いやね、それがよく食べたのはゴッコっていう、はらに吸盤がありましてね、それコラーゲンが豊富でね、そういう魚とか、カジカ、カレイかい。あと、チカとかね、昆布はもちろんとれますけど、チカなどは1年中のおつゆのだしにするのに、みんなで焼く、焼いて干す、これは年中行事でしたね。 あと、建物は立派だったんだけどね、ネズミがよく出たんです。だから、夜中寝てると、枕元をネズミが走るんで、足をかじられた兄弟もいたりしてね。それで、ネズミが何匹か入ったころね、穴を塞いで、明かりをつけてね、みんなでとった、大騒ぎしとった記憶ありますね。あとはやっぱり郵便局とか警察などもありましたね。 ただ、店ってもね、1軒か2軒あった、僕はあんまり買い物に行ったことはないんだけど。だから、親は根室まで買い出しに出るんですよ。これ、月に3回か4回、定期船が走ってましてね、通ってましたんで、月に1回ぐらい買い出しに出たと思いますね。