『チ。』主人公が交代していく“真意”とは? 反知性の象徴となったノヴァクの役割
『チ。』と同じ“精神”を持った湯浅政明監督の『犬王』
●歴史とは今わかっていることが全てではない 本作を視聴する際の注意点の一つは、これは地動説を題材にしたフィクションであるという点だ。この物語は史実にあったことではなく、歴史を正確に描写しているわけではない。 しかし本作は、それでも我々が歴史を学ぶときの重要な一側面を反映している。なぜなら、歴史とは「今のところ、わかっている事実」を基に編纂されたものに過ぎないのであり、過去の森羅万象全てではないからだ。 歴史に対して『チ。』と同じ精神を持った作品として、筆者は湯浅政明監督の『犬王』を挙げたい。『犬王』は記録がほとんど残っていない伝説の能楽師を描く作品だが、湯浅監督は大胆にも室町時代の能楽師をロックスターのように描いてみせた。湯浅監督は筆者のインタビューでこう語っていた(※)。 湯浅:何万年もの人類の歴史、何百億人の人間の行動をぜんぶ把握することは不可能です。現代社会だってすべてを知ることはできません。 <中略> 湯浅:時代考証はたしかに重要です。しかし、考証できる部分は、過去のほんの一部分でしかないんです。その狭い範囲で作品をつくるのは、偏見を持って過去の人々を見ているとしかぼくには思えません。 ぼくは、この作品を数百年前に生きた人々に成り代わってつくったつもりです。「なめるな、俺たちがそんな程度のことしか考えなかったと思っているのか」と。 コペルニクスが『天体の回転について』を書く以前から、地動説を研究した無名の人物はきっといただろう。湯浅監督が言うように、歴史で証明されているものは、過去のほんの一部でしかない。ほんの一部しか私たちは知らないのだという前提に立って、知らない部分に想像力を向けることこそ本当の意味で歴史を尊重することだと、湯浅監督は考えている。 『チ。』もまた、そのような姿勢で描かれた作品だと筆者は見ている。天動説が支配する時代に、ラファウたちが地動説という別の可能性を信じたように、歴史に対して、私たちも別の可能性を考えるべきではないか。 というか、その方が楽しいし、美しいと筆者は思うのだ。すでに判明している事実の尊重も重要だが、それと同じくらい、別の可能性を想像することも重要だと思っている。 ラファウの残した言葉が、全く見ず知らずの人間の心を動かしたように、このマンガとアニメも、作り手たちの知らない誰かを動かすだろう。そして、筆者の書く文章もまた、知らない誰かを動かす力になってくれれば幸いだ。この作品は、そのか細い希望は信じるに値するものだと背中を押してくれるのだ。 参照 ※ https://www.jff.jpf.go.jp/article/masaakiyuasa/
杉本穂高