カスピ海に浮かぶ、ソ連時代の異様な石油掘削都市とは
(CNN) 「石油の岩」を意味するネフト・ダシュラリは、世界最大の湖であるカスピ海にある、油井採掘と製油の施設が何キロにも及ぶ橋で結ばれた都市だ。アゼルバイジャンの首都バクーの海岸から約97キロ、船で6時間の距離にある。 写真特集:冷戦が生んだ「カスピ海の怪物」、エクラノプラン再び ギネスブックによれば、この都市は世界最古の水上石油プラットフォームであり、最盛期には5000人以上の住民で賑わっていた。 だが、ここ数十年でその人口は減少。一部の区域は荒廃し、海によって損なわれたが、ネフト・ダシュラリは今も稼働しており、アゼルバイジャンのカスピ海での長きにわたる石油採掘の象徴であり続けている。 ネフト・ダシュラリの歴史はソ連時代にまで遡る。1940年代後半、石油労働者は小さな島に上陸し、掘削装置と小さな住居を建てた。最初の試掘井は49年に掘削され、「黒い金」が湧き出た。 この油田から最初の石油タンカーが海岸に戻ったのは51年。ここからネフト・ダシュラリの本格的な建設が始まった。 都市はゆっくりと外側に拡張していった。海底に埋め込まれた金属製の柱によって水面から数メートルの高さに支えられたその様子はまるで水上に浮いているかのようだ。最終的には2000カ所近くの油井とおよそ320カ所の製油施設が長さ160キロ以上に及ぶ橋と97キロ以上の石油・ガスパイプラインで結ばれた。 この地域には退役した船舶7隻が意図的に沈められた。これらの船体は風や波から都市を守るために人工の湾を形成したが、ネフト・ダシュラリは依然として嵐や荒波に対して脆弱なままだ。 その後数十年にわたり、ネフト・ダシュラリには労働者用の居住区のほか、数百人を収容可能な劇場や店舗、医療施設、サッカー場、ヘリポートが建設。鉄骨構造物の上には木々が植えられ、公園までもが整備された。 ネフト・ダシュラリを所有・運営するアゼルバイジャンの国営石油会社SOCARによると、同都市は75年間で約1億8000万トンの石油を生産した。最盛期の67年の生産量は760万トンに上る。 数十年でより大きな油田が開発され、原油価格が変動するにつれ、同都市の重要性は低下。 SOCARの1月の統計によると、生産レベルは年間約100万トンにまで減少している。 カスピ海の汽水の影響を受けやすく、ネフト・ダシュラリの一部は崩壊しつつある。2008年には橋の大きな部分が崩落したという。 原油流出の報告もある。アゼルバイジャンの石油産業労働者の権利保護団体は、未処理の廃水がカスピ海に放水されているとの報告を含め、ネフト・ダシュラリが引き起こす汚染について長年懸念を表明してきた。 SOCARは19年、フェイスブックに、石油を海に排出した従業員らを特定したと投稿。 「環境を汚染する従業員に対して適切な行政措置を講じる」と述べた。 この巨大な水上都市は石油が枯渇したらどうなるのかという疑問は長年にわたり問い掛けられてきた。 再利用されると考える人もいる。魅力的な観光名所になるとの意見もあれば、博物館になる可能性があると言う人もいる。 しかし今のところ、この都市は石油の生産を続けている。部外者からほとんど遮断されたまま、つぎはぎでさびつきながら、ゆっくりと衰退していく産業の象徴となっている。