便意と尿意が転機?「徳川家康」のまさかの歴史。23年の大河ドラマ「どうする家康」も話題に
徳川家康は2023年の大河の主役であり、誰しも知っている、江戸幕府を作った人ですが、「それ以外何した人かあんまり知らないんだよね」「どんな人生を送ったのか知らないんだよね」という方も多いんじゃないでしょうか。日本史好きでポッドキャストラジオ番組「あんまり役に立たない日本史」(第5回ポッドキャストアワード優秀賞)や、歴史トークイベントも開催するお笑いコンビ「しろっぷ」のじゅんぺい氏が上梓、駿台予備学校の須藤公博氏が監修した『おかげさま図鑑: すごい人もひとりじゃなんにもできなかった!』を一部抜粋・再構成し、徳川家康が実際にどんな人物だったのか、紐解いていきましょう。 【写真】『おかげさま図鑑: すごい人もひとりじゃなんにもできなかった!』(しろっぷ じゅんぺい)
■メンタル激弱でもなんとか生きのびたワケ 天下を取った人ですから相当意志の強い、かっこいい人というイメージがありますが、実はメンタル弱々。もともとは三河国(現在の愛知県あたり)の領主・松平家に生まれた家康さん。 戦国時代は同盟を結んでいる相手と「戦をしませんよ」という証明として、子どもが同盟国に人質として送られることが一般的でした。家康さんも6歳の頃から織田家や、今川家で人質として、育てられました。大人になって今川義元の姪っ子とも結婚して(諸説あり)、将来的には今川家の重役となるよ、って感じで成長していくわけです。
そんな家康さんは17歳のとき、今川家の武将として桶狭間の戦いに参加しました。当時、今川家は非常に力もあって有名だったんです。対する織田家は、まだ世間的には「強い家ですよね」という認知がなかった。なので、誰がどう見ても「今川さんが勝ちますよね」っていう戦だったんです。しかし、信長による本陣奇襲に合い、大将・今川義元が討ち取られてしまうんですね。 そんなとき、家康さんは「もう終わりだ。せっかく今川家で武功をあげて出世して、偉くなろうと思ってたのに。大将討ち取られて最悪だよ。ああ、どうしよう」なんて急にテンション下がって、切腹しようなんて言い出しちゃいます。結果的に止められて、生きのびるんですけどね。