世界でも共通度が高い「道路」の地図記号。日本の特徴や現在までの変遷をたどる
◆さまざまな道路記号 「石段」も道路記号の一種で、これは幅員に関係なく幅0.4ミリで梯子形の線を入れて表現する。「階段国道」で有名な青森県の龍飛崎(たっぴざき)にある国道339号も赤い石段の表現だ。 道路関連の記号としては、他に「雪覆い等」の記号がある。落石覆いも含むシェルターであるが、従来は伝統的に「無壁舎」(温室、タンク等)の記号を用いていた。 「平成25年図式」では建物の関係に分類されるものを赤色で表示することになったが、雪覆いだけは従来通り黒の斜線表現である。ここもトンネルと同様に国道などの色は付けない。 他には2条線の両側が破線で示された「庭園路」という記号もある。ある程度の幅員はあるが、一般車の自由な乗り入れが規制されている道路だ。公園の他には大学構内や工場内の道路、空港の滑走路などにも用いられる。 細かいことを言えば、市街地によくある小規模な私道には適用されていないので(厳密にやろうとすれば手間がかかるからだろう)、地形図に「庭園路」で示されていないからといって、出入り自由とは限らない。
◆野砲が通れるか―これも道路記号の目安 道路の記号は「昭和30年図式」から今に至るまで、主に幅員によって分類してきたが、それ以前は国道や府県道といった種類別であった。 このため細道であっても国道なら太く、県道は立派なものでも少し細く表現されてきたので、その点が旧版地形図を見る時には要注意である。 戦前の国道は自動車、馬車が通れない個所も珍しくなく、峠道などで荷車が通れない登山道のような区間には太い2条線の片側だけを破線とした「荷車ヲ通セサ(ざ)ル部」という表現がなされていた。 「明治42年図式」での区分は国道・県道・里道(達路)・里道(聯路(れんろ))・里道(間路)・小径の6種類で、その重要度によって記号の目立たせ方がかなり異なっていたので、地域の道路交通の概要を把握するには適切な表現であった。 おおむね県道以上の道路にあっては幅員の情報が付加されていて、それぞれ「1間(けん)以上」が帯1本、「2間以上」が帯2本で表されていた。この帯は2条線を横切る形で示され、その表示場所は他の道路との交差点の手前、もしくは図の端で、これにより当該区間全体の幅員を表していた。 3種類の「里道」については自動車が少しずつ登場し始めた頃にあたる「大正6年図式」から具体的な幅員が定められている。 旧「達路」が1.5間(約2.7メートル)以上、「聯路」が1間(約1.8メートル)以上、「間路」が半間(0.9メートル)以上と改められている。後にメートル法への統一を規定した大正10年(1921)の度量衡法改正を受けて、同14年からは図式もそれぞれ3メートル以上、2メートル以上、1メートル以上に変更された。 これらの幅員はさほど厳密でなく、昭和10年(1935)に刊行された部内マニュアルである陸地測量部の『地形図図式詳解』によれば、「町村道及小径ヲ種別スルニハ、路幅ニ依ルハ勿論ナレトモ、尚道路ノ実質上ヨリ鑑識スルヲ要ス。即チ三米(メートル)道ハ野砲ヲ、二米道ハ輜重(しちょう)車〔馬が牽(ひ)くリヤカー状の荷車=引用者注〕ヲ、一米道ハ駄馬ヲ、小径ハ単独者ヲ通シ得ルヲ標準トシテ判別シ」とある。 いずれにせよ行軍への対応が優先されていたようだ。