世界的デザイナー桂由美のレガシー引き継ぐ 「愛と美と夢」の求道者、ゆかりの3人が語る「人生の“ハレの日”を仕立てたい」
今年4月、国内外で活躍したブライダルファッションデザイナー桂由美さんが94歳で亡くなった。デザイナー界の“巨星墜つ”といえるだろう。桂さんの数々の業績は、ウエディングドレスに象徴される「ブライダルの伝道師」だけではなく、日本の伝統美を世界に発信し続けたクリエーターとしての存在としても歴史に名を残す。桂さんの活動を突き動かしていたものは「愛と美と夢」への真っすぐな追求であった。 彼女にゆかりのある、株式会社ユミカツラインターナショナルのアクセサリーデザイナー藤原綾子(以下、綾子)さん、全日本ブライダル協会理事の長谷川清美さん、俳優の藤原紀香(以下、紀香)さんに、桂さんのデザイナーとしての等身大の姿とそのレガシーをどのように引き継ぐのか、などを聞いた。ユミカツラブランドの後継者の一人である綾子さんは「アニバーサリーウエディングの発信をはじめ、一人一人の人生の“ハレの日”をユミカツラのブランドで仕立てていきたい」と意気込む。 ▽先見性と革新性 桂由美さんは1965年、日本発のブライダルファッションショーを開催し、来年で「ユミカツラ」ブランドは60周年を迎える。綾子さんは新入社員の時から桂さんの指導を直々に受けてきた。1960年代の結婚式で花嫁が着る衣装について綾子さんは「着物が97%、ウエディングドレスが3%しかいなかった時代から桂は始めました。ブライダルの第一人者、パイオニアとして、花嫁のために歩き続けてきた人生だったと思います。当時、桂がウエディングドレスを発表したころ、着物文化の敵みたいなことを言われ、だいぶたたかれたようです」と振り返った。 その上で綾子さんは「桂は創業当時から和洋の両立を提唱していましたが、ついには日本の結婚式で花嫁が着る、着物とウエディングドレスが逆転するわけです。その時、世界に誇れる日本の美を消してはいけないという熱い思いで、和装の改革の取り組み、パリコレクションなど海外で見せるものの中に“ジャパネスク”というスタイルで、日本の生地、織物、染め、そういった日本独自のテクニックを活用し、現在の海外でも着られるようなドレスに仕立てることもしてきました」と語る。 綾子さんの言葉からは、桂さんが日本のウエディング業界を革新し、先見性を持った国際的な評価を得たデザイナーという姿が見えてくる。 しかも、桂さんは、「花嫁を美しく輝かせたいという夢」をかなえるために、時代の変化に敏感に対応したという。「例えば1着のウエディングドレスがあるとして、袖や襟を外せば二つの方法、つまりツーウェイで着られるとか、スリーウェイで着られるとか、パーツを付けたり外したりすることができるデザインもつくりました。結婚式は原型のスタイルで登場し、その後、披露宴などパーティーの時に違った花嫁のスタイルを見せられますから」と、桂さんは花嫁のニーズと美への追求に寄り添い続けた。 綾子さんは、時代に対する桂さんの鋭い感性についてこんなエピソードを紹介した。「桂は常に花嫁さんの声を聞くということで、亡くなる最後の最後まで、週1回はお店に立って、花嫁さんと接客していました。ユミカツラブランドの中で心がけていたのは、1人の花嫁さんが何か意見を言ったら、まず耳を傾けましょう。そして、2人の花嫁さんが同じことを言っているのであれば、企画として考えなくてはいけないと受け止めましょう。3人の花嫁さんが同じことを言ったら、これはもうものづくりとして形にしましょうということです。アンテナを張ってお店に立ち、花嫁さんの本当の声を聞いて、デザインに生かしていたというのが、ウエディングドレスデザイナーである桂の真の姿勢でありました」と。 ▽「着ている私も幸せになる」 俳優の藤原紀香さんも、ユミカツラブランドに魅了された一人だ。桂さんの人生の後半に出会ったという紀香さんは「ウエディングの世界をここまで引っ張ってこられたのは桂先生でした」と話す。自身のドレスをこれまでも何着も仕立ててもらった経験を通して「先生と一緒に仕事をさせていただくにあたって、毎回、毎回プロフェッショナルとしての姿を間近で見させていただきました。本当にドレスを愛していらした」という。 紀香さんが桂さんのお店で、ドレスを合わせる際の桂さんのまなざしは、今でも鮮明に思い出せるという。「桂先生は、全方位でドレスを見ておられました。ドレスそのものを見る、ドレスを着た私を見る。そして、着る人がどんなふうにしたら一番似合うのかを瞬時に見抜いておられました」。そして、「先生のドレスを着ている私もすごく幸せなのですが、『こうすればお客さまも必ず喜ぶわよ』と常にドレスを着ている人、ドレスを見て感じる人、あらゆる方面を想像しながら仕立てていく力がすごかった」と回想した。 紀香さんは、桂さんのデザイナーとしての本質について「先生ご自身の主張だけではなく、ドレスを着る側、ドレスを見る側にどう映るのかを常に考えながら、次々と指示を出される。1着のドレスに多面性のプロデュース能力を持っていらっしゃる方だった」と指摘する。 ▽「道半ばなんだから」 一般社団法人全日本ブライダル協会理事を務め、株式会社マリエ代表取締役で、美容道の家元でもある長谷川清美さんは、数多くのファッションショーで、ヘアとメイクと着付けなどの美容担当として桂さんをそばで見ていた。桂さんが70歳のころに出会ったという。「25年間くらい桂先生のそばで仕事をさせていただきましたが、人間として唯一無二の方だと思います。先生が私によく言っておられたのが『道半ばなんだから』という言葉でした。先生が70、80、90歳になっても、『道半ばなんだから』といわれると、娘ぐらいの年齢の私からしてみたら、もっともっと頑張らなくてはと思わされる言葉でした」と語り、桂さんから現状に満足することなく、常に上を目指す飽くなき探究心と向上心が大切だと教えられたという。 美容師の長谷川さんからすれば、桂さんは大師匠にあたる。しかし、桂さんは決して、師匠と弟子という意識を持たなかったという。「先生が生前よくおっしゃっていたことは『長谷川さんは日本の婚礼業界のために動く同志です』と同志という言葉を使われることが多く、上下関係があるような表現というのは、好きではなかった」と話した。 長谷川さんが一番印象に残っているのは、さまざまなコレクションで桂さんが示す天才的なフィッテングのセンスだったという。 「大規模なショーの場合、開催前の2日間にわたり、モデルオーディションと最終フィッテングおよびリハーサルを行います。桂先生は朝から夕方まで、出展する100着を超える作品を1点ずつ、ドレス・アクセサリー・ヘアーメイク・ヘアーアクセサリー・ブーケと細部にわたるまで確認し一切の妥協をせず、最高の作品づくりにすべての時間と魂を込めていました」という。 その上で「先生は必ず私たちの意見に耳を傾けてくださり提案を聞いてくれました。その提案した内容がイメージと違うことがあっても、何回も何時間でもつくり直しのチャンスをくださいました。先生が『よい』と判断された時はうなずかれます。しかし、駄目なときは首をかしげられ、先生の前にモデルさんを連れていき、『飾りをこうして』などと指示を出されます。その指摘されるセンスは、100人が見てもすべての方が納得する内容とバランスで、その感性にいつも学びと驚きと尊敬の念を持ちました」と語った。 ▽「人生をクチュールするブランドでありたい」 ユミカツラインターナショナルは、桂さんの後任として、クリエイティブチームに所属する3人を発表している。1人目は綾子さんで、2人目は同社のオートクチュールフォーレンタル部門のドレスデザイナーである森永幸徳さん、3人目がオートクチュールドレスとプレタクチュール(セルドレス)を担当している飯野恵子さんだ。 綾子さんは3人で今後のユミカツラブランドについて語り合ったという。「これからが私たちにとって大事な時期で、いろいろ考えています。ただ、私たち3人だけではなく、みんなで、チームで、やっていくものだと思っています」と強調した。 「桂の遺志というのは、ユミカツラを残したい、100年も続くブランドにしたいという強い思いです。名前を残してほしいという桂の願いについて、ユミカツラ、並びに関係チームは賛同し、気持ちを合わせながら進んでいくことを確認しました」と明らかにした。 綾子さんらユミカツラチームではユミカツラブランドを、「お客さまの人生のハレの日をクチュールする(仕立てる)、そんなブランドでありたい」という共通の目標を話し合ったという。 「オートクチュールという言葉はよく知られています。フランス語でクチュールとは、仕立てる、作り上げるという意味です。お客さまの人生のさまざまなステージで、ユミカツラブランドを活用してもらうことで、感動をお届けしたい。私たちは、人生のハレの日を仕立てる、ライフクチュールする、そんなブランドを築いていきたいと思います」と力強く語った。 桂さんは晩年、節目、節目にお祝いするアニバーサリーウエディングを提唱していた。 結婚記念日としてよく知られているのが、25年目が「銀婚式」、50年目が「金婚式」だ。綾子さんは「アニバーサリーウエディングとは、記念日をきちんとお祝いしましょうということなんです。その時は、衣装を着てもいいでしょうし、着られない方は着なくてもいいのです。たとえば、銀婚式であれば、シルバー製のネックレスと、タイピンを交換しあって、感謝の気持ちを伝えましょう。それを見た子どもたちも幸せな気持ちになるでしょうし、両親の姿を見て自分も結婚したいという気持ちになってくれたら、なおいいですよね」。 少子化が進む中、若い人たちの結婚件数が増えることが見通せない。しかし、綾子さんは「人生の中のハレの日という瞬間を大切にしたいという方がいらっしゃる以上、私たちが、ライフスタイルをクチュールする、そんなブランドであり続ければ、仮に結婚人口が減ったとしても、ユミカツラのブランドは生き続けるのではないか。今そんな思いで、チームはまとまっています」と力を込めた。