冤罪事件「自白偏重」の始まりは江戸時代!? 虚偽供述を引き出した「拷問」が横行した背景とは…
一市民が刑事事件の犯人と間違われたとき、「冤罪」が生まれる。あってはならない、究極的な間違いだ。 疑われた人の人生を狂わせる冤罪はなぜ発生してしまうのか。そこに問題意識を持ち、撲滅を見据えて多方面から客観的に分析し、再発防止に役立つよう体系的にまとめた一冊「冤罪 なぜ人は間違えるのか」。 著者の西愛礼弁護士は「人は間違える」ことを受け止めたうえで、努めて冷静に「司法の落とし穴」を解き明かしている。 今回は、冤罪の主要な原因といわれている「自白」について、現代まで脈々と受け継がれる日本の「自白偏重」の歴史を江戸時代の捜査の実状から振り返り考察する。 ※ この記事は西愛礼氏の書籍『冤罪 なぜ人は間違えるのか』(集英社インターナショナル新書)より一部抜粋・再構成しています。
「証拠の女王」
古くから自白は「証拠の女王」と呼ばれ、犯人であることを指し示す決定的な証拠だと考えられてきました。 噓をつくのはもっぱら自分の利益を守ったり、あるいは自分の罪を隠したりするときであり、犯してもいない罪を自白して自分にとって不利な噓をつく理由など何もないなどとして、自白が決定的な有罪の証拠とみられてきたわけです。 しかし、現実には取調官による自白強要などによって、噓の自白(虚偽自白)をしてしまうことはけっして少なくありません。実際、自白は日本における代表的なえん罪事件42件中29件(69%)と四大えん罪証拠の中では最も大きい割合を占めているえん罪原因になっています。 これほどまでに自白がえん罪事件において主要な要因になっているのは、現代まで脈々と受け継がれる日本の自白偏重の歴史に由来しています。 江戸時代の法制度では、慣例により有罪判決を下すためには「吟味(ぎんみ)詰(づま)り之の口書(くちがき)」によらなければならないものとされていました。 これは現代における自白調書です。この自白調書があれば他の証拠がなくても有罪判決を下すことが可能であったため、江戸時代においては自白調書をとることが「吟味」(取調べ)における最重要目標とされていました。