斎藤雅樹にサイドスロー転向を進言した巨人レジェンドコーチ 現役時代は61年川上哲治監督初Vの立て役者
創立90周年を迎えた巨人。巨人での出場試合が多い野手、投手を中心に記録にも記憶にも残る歴代の「偉人」を紹介します。第38回は中村稔。 * * * 中村稔は藤田元司監督に仕えた名コーチだ。 1938年9月28日、三重県出身。沢村栄治とは親戚関係にあった。宇治山田商工から57年入団。最初の4年間は3勝に終わるが、61年のベロビーチキャンプでチェンジアップを習得した。同年チームの勝ち頭となる17勝10敗、防御率2・13と大躍進し、川上哲治監督の初優勝の立て役者となった。 南海との日本シリーズでは、初戦に先発するなど6戦中5戦に登板。第6戦ではリリーフで勝ち投手となり、6年ぶりの日本一に貢献した。 肩を痛めたほか、64年の春先には交通事故に遭った。同年は0勝に終わったが、65年には20勝4敗と劇的な復活。21勝の城之内邦雄、20勝の宮田征典と20勝トリオでV9初年度に大貢献した。 69年に引退後は70~77年、81~83、89~92年と投手コーチを歴任。特に斎藤雅樹のサイドスロー転向を藤田監督に進言したり、90年には斎藤、桑田真澄、木田優夫、香田勲男、宮本和知の5人が2ケタ勝利を挙げる「投手王国」を作った。97~98年にロッテのコーチを務め、21年に死去した。
報知新聞社