チームのアイデアが光る近年のF1マシン10選。レギュレーションが厳しくなっても、個性的なマシンは生まれる
マクラーレンMP4-23(2008年):エアダム
2008年のマクラーレンMP4-23は、サイドポンツーンの前端側面に設けられたチキンウイングから、後端の側面に生えたチムニーまでが一体になっていた。 この頃のF1は、細かい空力パーツ全盛の時代。ダンボウイングやバイキングウイング、ブリッジウイングなどなど、マシンのいたるところに空力パーツが取り付けられていた。 そのひとつが、このマクラーレンMP4-23のチキンウイングとチムニーで形成されたフェンスだ。これにより、サイドポンツーン上の気流を、リヤウイングやディフューザー上に効果的に導いた。 これは、近年のF1マシンで見られるバスタブや、サイドポンツーン上に彫られた溝と、目指す効果は相通ずるモノがある。 マクラーレンは2011年に、L字型のサイドポンツーンを登場させた。これも、同じような効果を狙ったものだった。
ブラウンGP BGP001(2009年):マルチディフューザー
2008年限りで、ホンダが突如F1から撤退。しかしチームは、すでに2009年用のマシンをほぼ完成させていた。 チーム代表だったロス・ブラウンは、ホンダのF1チームを1ポンドで買い取り、ブラウンGPと名乗った。そしてホンダエンジンに変わって搭載されたのが、メルセデスエンジンだった。 参戦が承認された後、ブラウンGPは合同テストに参加をはじめると、いきなり速さを発揮。開幕しても勢いそのままに勝ちまくり、バトンにドライバーズチャンピオンをもたらした。 その最大の功績は、ホンダ時代にチームが開発したマルチディフューザーにあった。これにより絶大なダウンフォースを発生させ、優位を誇った。同年から使用が解禁されたKERS(運動エネルギー回生システム)を搭載”できなかった”ことも大きかった。 もしホンダのまま参戦を続けていれば、KERSを搭載していたはず。関係者の話によれば、ホンダ製KERSの完成度はかなり高かったという。それが功と出たか、凶と出ることになったのか? 今では誰にも分からない。 このブラウンGPは翌年からメルセデスGPへと名を変え、現在のメルセデスF1の礎となった。