あまりに理不尽…「働いたことがない無職の中年男性」が「元妻からもらったお金」で買った宝くじで当たった「300億円」のゆくえ
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】宝くじで300億円当てたにもかかわらず元妻の援助を受ける男が許される理由 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
たしかに法律があるから生活できる……でも
法律を学ばなくても生きてゆけることは確かである。万人が他人を騙そうとか盗もうとか殺傷しようとかしないならば、法律のほとんどは必要ないだろう。 だが、すでに我々は法律によって守られながら生きている。コンビニでビールを買うのも、部屋を借りて住むのも、会社を設立して経営していくのも、すべて法律によって可能になっている。 学術的にちょっと堅苦しく言うと、法律は「市民相互の自主的な取り決めの形成保護のための便宜を提供」するものなのである。つまり法律とは、現代の生活における道路、鉄道や電気、上下水道などのインフラのようなものだと捉えるとよいだろう。 本当は、一生法律を調べることも、法律と向き合うこともなく生きられる人こそ、もっとも幸運な人といえるかもしれない。トラブルに遭わずに済んでいるということだから。 でも、それは自分が損をさせられていることを知らない状態であるかもしれない。たとえば、過去にグレー金利の金融から金を借り、払う必要のない金を払っていたとしたら、出資法を知らないと過払い金は取り戻せない(別に弁護士事務所の宣伝をしているわけではない)。 その一方で、捕まらずに悪いことをしてやろうと企む者にとっても、法律は重要なテキストである。かつてアメリカのボクシング興行の立役者でありながら数多くの契約違反、搾取、殺人などで悪名をとどろかせたプロモーター、ドン・キングでさえ、「私の成功は法律の擁護があったからだ」と嘯いたという。 善人にも悪人にも、法律は現代社会で自由に生きるための術を与えているのである。