「名字選ぶ自由与えないのか?」国連委の問いに“チグハグ答弁”…選択的夫婦別姓が求められる“日本ならではのワケ”
■“考え方は国で異なる” 国連で議論する意味は?
白川:選択的夫婦別姓の議論以外では、どんな話題が出てきましたか? 庭野:例えば、女性の健康の問題。中絶手術をする場合には、今の法律では、女性の意思だけではなくて、原則パートナー・配偶者の同意が必要なんですが、こういった規定があるのは、世界でも11カ国のみ。G7では日本だけです。この要件を撤廃する可能性について聞かれましたが、これも法律を読み上げることを繰り返し、特に方針は示しませんでした。 社会や経済のシステムにも質問が出ました。裁判官や大学の先生、企業の管理職に女性がとても少ないことについて「なぜなのか?対策を具体的にどうか」と質問されました。政府も「2019年は何%だったのが、23年は何%になった」などと数字を用意して、「今後幹部を増やしていく」などと言いましたが、抜本的な対策というのはなかなか難しいようでした。 白川:休憩を挟んで、議論は5時間行われたと聞きました。庭野さんは全部見た、ということなんですけど…。 庭野:複数の委員があらゆるところで、日本には、性別による固定的な役割分担意識があると指摘していました。“男はこう、女はこう”という役割意識とか、“アンコンシャスバイアス”とされる無意識な思い込みがある、と。日本政府もこれを認めて、「どう改善するのか?」と何度も質問が出ましたが、「セミナーを行っている」とか、「(啓発用の)動画を出している」と答えるだけで、なぜこの状況が続いているのか、背景に関する言及はありませんでした。 白川:いろいろなところで要望が出ている、包括的性教育の問題に対しても議論が出たんですよね? 庭野:尊厳や性的同意などの権利などの幅広い学びについて、学校教育に導入しないのかという問いでした。ただ大体は「学習指導要領に基づいて、発達段階に応じた適切なことを教える」と、いつもの答弁。最後には「性に対する考え方は国によって異なる」として、終わってしまいました。 白川:包括的性教育は、性に対するいろんな知識を持つことで、自分たちの人生を計画的に、より幸せに生きていくために必要だと私は思っています。国連の委員会でこの話が出るのも、これが人権に関することだから。それが「国によって異なる」となると、委員会の存在意義自体を否定しているようにも思えてしまいましたが…。