「神山まるごと高専」企業70社以上の支援受け”奇跡の田舎”に開校。支援者や地元民「町のダイバーシティが拡大」「他校の生徒にも影響」など刺激に 徳島県神山町
他校にも影響を与え、「教育のまち」の横顔が加わりつつある実感
神山に生まれ育ち、町内で金物店を営む佐藤英雄さんは1991年以降、30年以上神山の活性化に取り組んできた一人だ。現在は金物店の経営と共にグリーンバレーの理事や地元商工会の会長を務める。そんな佐藤さんに、生粋の神山っ子としての一年を振り返ってもらった。 「高専ができる以前、神山にある徳島県立城西高校神山分校(旧徳島農業高校)の統合、路線バスの撤退の話が進んでいました。これは神山にとって大打撃になる。町として学校がなくなることは、なんとしても避けたかった」とかつての危機的状況を振り返る佐藤さん。町や町民の努力で幸いにして分校消滅は免れ、教育への関心が高まっていた前後に、新しい高専設立構想を耳にした。 「アートとテクノロジーの融合というコンセプトは、これまでのKAIRの経験から『できないことはない』と思いました。批判的な意見がなかったとは言えませんが、私は『神山のために面白いことをやろう』と考えがあったので」 その後、寮の改装や校舎建築が始まると、住宅設備などさまざまな備品を納品する業者としても関わった佐藤さん。しかも神山に精通するために、教員やスタッフの住居の確保や整備など、生活面での相談にのることも多かったという。 隅田さんと同じく、開校後のまちを若い人が闊歩する姿を喜ぶ佐藤さん。直接的な学生との交流はさほど多くないものの、自分よりも若い教員やスタッフとの交流は「楽しい」と微笑む。もちろん学生主催の報告会やイベントには足を運ぶようにしている。 高専だけでなく、佐藤さんにとっては城西高校神山校も大切な存在。「存続が決まってから、環境デザインや食農プロデュースなどが新設され、地域の人との交流などユニークな取り組みを始めました。それが評価され、今や町外から進学する学生が9割と聞きます」 高専開校と神山分校の影響により、教育に関心のある人の移住者が増えた印象を受ける佐藤さん。神山町はアートやサテライトオフィスだけでなく「教育のまち」という側面も加わりつつあるようだ。 もうひとつ佐藤さんが目を細めるのは、高専生と分校生の交流が生まれつつあるということ。「去年の地域のお祭では、両校の生徒が一緒になって参加しました。分校生も高専に刺激を受けて、パワーアップしているようですね」 神山で暮らす高専生はまだ一期生のみ。高専が注目を集めたことで、それが学生たちにプレッシャーとなっていないかを憂慮する佐藤さん。やや過熱気味だった周囲の環境が落ち着く2年目以降が、佐藤さんには気がかりだ。つまり神山が故郷である佐藤さんにとって、ここで5年間暮らして、その後どう神山と関わるのかが、関心事のひとつでもある。 「授業の内容は詳しくわかりませんが、アーティストやクリエイターだけではなく、神山には知られざる名人がたくさんいます。例えば魚捕りの名人とか。そんな人達との交流をもっと深めて、卒業後は神山を『第2の故郷』と言ってもらえるよう、大好きになってもらいたい」 移住者と地元を代表する二人の話を聞いた限りでは、高専開校は神山にとって好ましい影響を与えているようだ。しかし、背景の異なるさまざまな人が暮らしていくと、いろいろと問題が起こることもあるだろう。それを乗り越えることで、さらにより良き方向へ進むことに期待するべきと考えたい。そして卒業生が活躍し始める頃、神山町の存在感はどれほど大きくなっているのだろうか。 ●取材協力 神山まるごと高専 NPO法人グリーンバレー 株式会社えんがわ
藤川 満