1300年にわたって守られてきた至宝を後世に伝える「模造」の技…正倉院もうひとつの宝物・上
前所長の西川明彦(63)は「口数は極めて少なく、口を動かすより目と手を動かしていた」と証言する。
「漆彩絵花形皿」は供物を盛る木の皿で、中央の花形の周りに葉形を4枚配した斬新な意匠が特徴だ。慶四郎は最初の試作で、4枚の葉形をすべて同じ寸法で作り、上下左右対称に置いた。しかし、試作を手に正倉院事務所に行き、改めて実物と見比べた慶四郎は、あることに気付く。一枚一枚微妙に形が違う――。
自宅に戻った慶四郎は、輪島塗職人の三男、政喜(70)に語った。「全く同じパーツではないから、自然で柔らかい印象を与え、飽きがこない。上下左右対称に作ったものとはやはり違う」。一からやり直した。
人間国宝の技術を伝承する県立輪島漆芸技術研修所で慶四郎に学び、後に政喜と結婚した朋子(57)は「『見て覚えろ』という言葉を家訓のように言っていた」と語る。職人には観察がいかに大切かということを常に説いていたという。
慶四郎が完成品を正倉院事務所に納めるまでに、実に5年を要した。
輪島塗の工程は100以上に細分化されている。他の産地にはない特有の工程も少なくない。例えば、下地塗りの漆には、地元で採れる 珪藻(けいそう)土「輪島地の粉」を混ぜ込む。強度が増し、長持ちするという。
西川は「宝物をもうひとつ作り、後世に伝えるためには劣化しにくい必要がある。耐久性のある輪島塗の職人に模造を依頼することが多い」と語る。
しかし、元日の地震で輪島塗は危機に直面した。輪島漆器商工業協同組合や輪島市によると、市内にある約400の工房のうち、約8割が焼失や全半壊するなどの被害を受けた。
研修所の収蔵庫には、彩色せず、完成に至らなかった、慶四郎の手による「漆彩絵花形皿」の模造品2点がある。激しい揺れにも傷つくことなく守られた。
淳次は職人仲間から道具の提供を受け、金沢市内の避難先で漆器の制作を続ける。慶四郎に師事した坂下光宏(62)の工房も地面の隆起で傾いたが、修理して9月から仕事を再開した。産地全体で、復興へと歩み出そうとしている。
坂下には忘れられない師の言葉がある。「中途半端な模造は作るな。間違った技術が伝わる」。いにしえの職人魂を現代によみがえらせる模造の精神は、未曽有の災害にも負けず、脈々と受け継がれていく。(敬称略)