NYの書店で源氏物語と出会ったドナルド・キーンさん、美しい英訳に感動…紫式部は「人間の心を知っていた」
日本文学を世界に広めたドナルド・キーンさん(1922~2019年)と、平安中期の古典文学「源氏物語」に焦点を当てた展覧会が、キーンさんが半世紀近く暮らした東京都北区で開かれている。キーンさんの日本文学研究の道を運命づけたといえる源氏物語との出会い、多くの言語に翻訳された世界文学としての普遍性について、二つの会場で紹介している。(編集委員 森太)
英訳の美しさ
北区主催の「ドナルド・キーンと『源氏物語』展」の第1会場では、キーンさんが1988年10月に福井県武生市(現在の越前市)で行った講演「私と『源氏物語』」の全文を30枚のパネルで紹介している。
キーンさんと源氏物語の出会いは40年秋に遡る。売れ残った本ばかりを安く販売する米ニューヨーク・タイムズスクエアの書店に入り、そこに積んであった源氏物語の英訳本が目に留まり購入した。18歳だったキーンさんは、源氏物語も、紫式部という作家も知らなかったが、翻訳者の英国人アーサー・ウェイリーのことはよく知っていた。
「1940年というのは、実に悪い年でした。私にとって一番の悩みの原因は、戦争でした」。キーンさんは武生市の講演で語っている。欧州ではナチスが台頭し、パリはドイツ軍に占領された。平和を愛したキーンさんは、戦争がもたらす世の中の暗い雰囲気に、気持ちがふさいでいた。
それを忘れさせてくれたのが源氏物語だった。「英訳の素晴らしさに驚きました。実に見事なものでした」。キーンさんは源氏物語を読んだ感想について、講演でこう述懐する。「もちろん私は原文を全然知らなかったし、日本のこともほとんど何も知りませんでしたが、その英語としての美しさは何ともいえないものでした」
源氏物語が描き出す世界は、キーンさんの知っている世界とは、まるっきり異なるものだった。そこには、武器も戦争もなかった。あるのは、主人公である光源氏が繰り広げるさまざまな女性との恋愛の世界だった。「目の前にある世界を忘れるために源氏物語に入り込み、源氏物語のおかげで私は幾分かの慰めを得ていたのです」。キーンさんはそう振り返っている。