プロ野球選手を目指し、東北高校へ 中学時代に練習試合ができなかった、驚きの事情 話の肖像画 夢グループ創業者・石田重廣<7>
《オーディション番組「スター誕生!」に出場したが不合格となり、クラスメートに宣言した「歌手になる」の夢がついえた。その直後に「プロ野球選手になる」とまた宣言し…》 【写真】「安くしてぇ~」と同じ 保科有里さんの甘ったるい声により始球式で大暴投した石田重廣さん 僕は中学1年生のころから身長が180センチ近くあり、野球部では投手として先輩たちより速いボールを投げ、三振もいっぱい奪っていたのです。が、試合に出られない。「どうして?」ってなりますよね。で、監督に聞いてみた。すると「上下関係ってあるだろ。先輩が優先だ」と言う。先生ですから教育の一環と思われていたのでしょうが、「試合は勝つためにやるんじゃないの」って、当時の僕は理解できませんでした。 で、どうしたか。だったら3年生になって入部すればいい、といったん退部したんです。その後は1人で壁に向かって投球練習を続け、3年生で入部し直しました。上級生ですから、今度は試合に出られる。公式戦ではヒットは打たれないのですが、0対1の負けばかりでした。四球やエラーで負けてしまうんです。自分で打って返せばいいのですが、そううまくはいきません。 そんなころに「スター誕生!」で不合格となって歌手の道が途絶え、プロ野球選手になると宣言してしまった。で、プロになるためにはどうすればいいか。それで野球の強い高校に行って甲子園で活躍し、ドラフト会議で指名してもらおう、となったんです。 《選んだのは宮城の強豪、東北高校だった》 本当は広島の広陵高校に行きたかったんです。広島カープのファンだったので。山本浩二とか衣笠祥雄、外木場義郎とか、かっこよかったからね。でも、福島からはあまりに遠い。で、近くの強豪、東北高校です。 東北高校に行くにしても、果たしてどんなレベルか、見当もつかなかった。行ってもレギュラーにならないと意味ないでしょ、目標はプロ野球選手ですから。さらに僕は自分の実力もよく分かっていなかった。というのも、通っていた福島大学付属中はなかなか練習試合ができなかったからなんです。 その理由は他校の野球部員の頭髪はみんな丸刈りなのに、うちは国立中学のぼっちゃん集団でふさふさ。それで嫌われて、練習試合をしてくれない。だから公式戦ではヒットを打たれなかったけど、自分が果たしてどのぐらいのレベルか、分からなかったんです。
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