プロ野球選手を目指し、東北高校へ 中学時代に練習試合ができなかった、驚きの事情 話の肖像画 夢グループ創業者・石田重廣<7>
《そこで視察に》
両親は「福島の高校で勉強して早稲田大学に行け」と反対でした。でもクラスメートに「プロ野球選手になる」と宣言したわけで…。東北高校の野球部には部員が150人も200人もいると聞いていましたから、とりあえずは練習を見に行こう、と。自分よりもはるかにすごいな、と思えば諦めなくちゃいけないし。
で、中学3年生の10月ぐらいに、授業の4時間目で先生に、「ちょっと進学希望の高校に行ってきます」と断って東北高校に向かった。仙台駅まで電車、それからバスで、グラウンドに着いたのがだいたい午後3時半ごろ。で、上の方から練習を見ました。しばらくして感じたのは、ああこのくらいなのね、って。自分とそうは変わらないぞ、と。
で、しばらく腕組みして見学していたら、監督とおぼしき人が僕の方に歩いてきて、「君、君」って話しかけられた。「君、何してるの? 何を調べているの?」って言われたので、「どのくらいのレベルなのか、チェックしてます」と返事をした。すると「君、どこの高校なの?」と言うんです。制服は着ていたものの、体も大きくて頭髪も伸びていたので、別の高校の偵察と間違われた。これが短かったけれど濃密だった名将、竹田利秋監督とのお付き合いの始まりでした。(聞き手 大野正利)
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