地震から1か月ぶり…ようやく我が家へ 家族の思い出ここに 住民の思い【バンキシャ!】
日テレNEWS NNN
能登半島地震の被災地、石川県輪島市では住民が待ち望んでいた災害廃棄物の回収が始まりました。一方、バンキシャ!が取材したのは、被害が深刻でいまだ手つかずの場所も残る地域。そこには、1か月以上がたち、初めて自宅を訪れることができたという人の姿がありました。(真相報道バンキシャ!)
バンキシャ!は2日、最大震度7の揺れを観測した石川県輪島市へ。中心部の大通りを歩くと…。 バンキシャ! 「家の中で使われていたものが出されています」 こちらの女性は、テーブルを運び出していた。慣れ親しんだ家具の一つ一つ。そこへ、災害廃棄物であることを示す「災」と書かれた紙を貼る。 バンキシャ!が取材をしていると、車の荷台にタンスが積みこまれて回収されている様子が…。実は輪島市では1日から、災害廃棄物の回収が始まったばかりだった。 回収を見届けた住民は、 「本当、持ってって」 「置く所がなくて」 元の生活を取り戻そうと、少しずつ歩み始めた被災地。一方、生活の再建にはほど遠い現状もある。バンキシャ!は、地震から1か月がたって、ようやく自宅を見に行くことができた人々を取材した。 激しい揺れと津波で多くの家屋が倒壊した、石川県珠洲市の鵜飼地区。3日、バンキシャ!が訪れると。 バンキシャ!伊藤遼 「いま重機などを使って、まず車が通れるようにする。道路の整備を行っている状況です」 地震から1か月。がれきなどの撤去が始まり、ようやく一部の道路が通れるようになった。 そこで出会った、浜敏雄さん(76)。この日、避難先から初めて自宅まで来ることができたという。 浜敏雄さん 「探し物たくさんや。携帯から保険証から」 浜さんの1番の目的は、“避難生活で必要なもの”を取り出すこと。しかし、自宅は1階部分が倒壊。さらに車が玄関を塞いでいた。 浜敏雄さん 「こっちの流しの方から入れるかどうかと思って。この流し台をどけて」 浜さんが途方に暮れていたその時。手助けに入ったのは、市と連携して活動しているボランティア団体のスタッフだ。家の裏にまわりこむと、ボランティア団体のスタッフは屋根をつたって2階へ。そして、大きな袋が妻の美津子さん(71)に手渡された。袋の中に入っていたのは…。 美津子さん 「ああ、そうですね。これですね」 大切な婚約指輪。マイナンバーカードや印鑑証明など、貴重品も無事に回収することができた。 浜敏雄さん 「よかった。帰ってきたかいがあった」 浜さんは、再び珠洲市に戻ることを夢見て、しばらくは100キロ以上離れた白山市に家を借りて生活するという。 “大切なもの”を探し出そうとする人は他にも…。 関山𥙿子さん 「よかった。持って行きます」 石川県珠洲市の鵜飼地区で出会った関山𥙿子さん(69)。 関山𥙿子さん 「我が家です…」 今は金沢市に避難中。この日は、夫(69)と息子(38)とともに自宅を見に来ていた。今後の避難生活に必要なものを探しに来たという。 家の中を探すこと、数分。関山さんの手には白い箱が。中身は、新品のカバンだ。 ──汚れずに… 関山𥙿子さん 「少し高いところにあったので、これは全然汚れていなかった。使えるし、持って行こう」 関山さんは地震直後、着の身着のまま家を飛び出したため、使えるカバンがなかったという。 関山𥙿子さん 「本当に奇跡ですね。よかったです、使える」 さらに…。 ──お母さん、そちらは? 関山𥙿子さん 「これは私の大事な家族です」 居間に飾っていた総勢15人の家族写真。今回の地震では、全員が無事だったという。 関山𥙿子さん 「これ孫なんです。1人、2人、3人、4人、5人、6人、7人おる」 「いっつも見てたんです。毎日毎日。かわいいかわいい孫たちが…」 孫の笑顔が、心の支え。関山さんは「よかった。持っていきます」と話し、箱にしまっていた。 夫婦で訪れていた加藤裕起子さん(37)と夫の大輔さん(39)。あの日、裕起子さんの実家は激しい揺れと津波に襲われた。当時、家にいた母と祖母が亡くなったという。裕起子さんには、取り戻したい“思い出の品”があった。 裕起子さん 「今かかってるエプロンというか、かっぽう着」 ──あの水色の? 裕起子さん 「いつも祖母が着けて過ごしていた」 ──あれを着て、料理したり… 裕起子さん 「そうですね」 しかし、余震のおそれもあるため家の奥には入らず、今は外から見つめるだけ。 裕起子さん 「(1か月は)区切りでもないかなって。ただ日にちがたって、1か月たっただけ」 夫の大輔さん 「正直1日1日生活していく、生きていくので精いっぱい。毎日必死に、どうしたらいいか考えながら時間だけがすぎていく感じ」 (2月4日放送『真相報道バンキシャ!』より)