【ラグビー】「釜石は第二の祖国」。ベンジャミン・ニーニー[サモア代表/LO]
代表選手として初めて日本に戻ってきた。 日本製鉄釜石シーウェイブスに所属するベンジャミン・ニーニーが9月、パシフィックネーションズカップにサモア代表として参戦した。 同大会では全4試合で背番号4をつけて先発、15日に日本代表と秩父宮で、21日にはアメリカ代表と花園で戦った。 アメリカとの3位決定戦を18-13の接戦で終えたニーニーは、「この時期なのに暑いですね」と汗を拭い、ファンへの感謝を語った。 「日本に来て心から楽しいと感じたのは、やはりファンの皆さんの応援です。東京と大阪で試合をしましたが、そこで色々なファンの方々がわざわざ現地まで来てくれた。とても嬉しかったです」 試合は終盤までもつれた。決勝点が生まれたのは後半37分だ。サモアは幾度もチャンスを作りながら、ものにできないでいた。 「エラーが多く、難しい試合になってしまいました。ただ、相手にプレッシャーを与え続けて、自分たちがやるべきことをやっていけば、どこかでスコアできると信じていました」 「何が起きてもネガティブな気持ちになってはいけない。ラグビーでは悪いことも起こってしまうけど、起きてしまったことは流し、次のプレーに移るという切り替えが大事です」 優勝を目指していたチームにあっては、難しいメンタリティで臨む3位決定戦だったが、ニーニーはこの試合にも意義を見出す。 「このPNCに参加するために、一人ひとりが何らかの犠牲を払っています。家族や子どもと過ごす時間が減ったり、所属クラブでプレーをする時間が減ったりします。この試合を終えるとみな別々の道を行く。だからこそ、自分たちがベストパフォーマンスを見せることは非常に重要だと思っていました。もちろん最大の目的は優勝だったけど、今回最後に勝ててよかったです」 サモアは今大会、決してベストなメンバーではなかった。2023年のW杯スコッドのメンバーを招集できたのは数人程度。サモアユニオンは深刻な財政難に苦しんでいる。 その意味でも、こうして集まる機会は他国以上に貴重といえるだろう。 「サモアはお互いを家族だと思っています。こうして家族としてプレーすることには非常に大きな意味がある」とニーニーは続けた。 来日したのは2020年。生まれ育ったニュージーランドで、新たなチャレンジを決断した。 「最初は自分の住んでいた場所は違うと感じていたのですが、今は第二の祖国、慣れ親しんだ国だと思っています。1年のうち、7、8か月は岩手に住んでいるので、娘は雪遊びが大好きです。雪の多いところでラグビーをするのは大変だけど、それによって困難に立ち向かう精神力が育まれていると思います」 ブルーズでのスーパーラグビー経験もあるタフなLOは、釜石にトップチャレンジ時代から在籍している。 直近の2シーズンではディビジョン2でトップのラインアウト成功数も誇る。 昨季にはLOだけでなく6番での起用も増えた。日本での長年のプレーで、「スピードが身についた」という。 「リーグワンは試合のスピードが速く、スキルを実行する速さもあります。そのおかげで自分のスキルをスピードを持って出せるようになったと思います。6番でもプレーできるようになりました」 試合後は住まいのあるニュージーランドに1週間だけ帰って家族と会い、年末に開幕するリーグワン2024-25に向けて釜石へと戻る予定だ。 31歳、タフな生活は続く。 (文:明石尚之)