「翔平が怒ってます」「怒らせとけ」栗山英樹監督が日本ハム時代の大谷翔平に言い続けたこと「チームを優勝させてから行け。なぜなら…」
メジャーリーグで2度のMVPに輝き、本塁打王も獲得した大谷翔平。花巻東高校からメジャー行きを宣言していた大谷を“二刀流”として育んだ北海道日本ハムファイターズ時代を振り返る。なぜ、5年間でメジャーに行くことができたのか? そこには栗山英樹監督とファイターズの“ある構想”があったーー。 『信じ切る力 生き方で運をコントールする50の心がけ』(栗山英樹著/講談社刊)より抜粋して公開します。<全2回の第1回/第2回も配信中> 【写真】「まるで兄弟?」大谷アニキの隣でフードを被る由伸がカワイイ!ダルビッシュ先輩と握手でペコリ、ベンチで仲間たちと熱いハイタッチの瞬間も!現地で見た、大谷翔平&山本由伸の【最新版・愛されすぎな日常】を写真で見る。
メジャーに挑戦したい選手への「判断基準」
選手について何かをしようとするとき、監督としての僕が強く意識していたのは、これでした。 「選手のためになるか、ならないか」 ファイターズ時代は、球団も同じ判断基準を持っていました。 例えば、メジャーに挑戦したい選手がいたとする。どうしても行きたいと言っている。でも、能力的に今、行っても成功しないと判断したら止める。それは、選手のために止めるのです。 しかし、力があって行きたいのに「もう一年我慢してくれ」はしない。なぜなら、その一年間は無駄だから。 人間は、心が必死にならないと、いいことは起こりません。本当に行くと決めていて、本人の能力が備わっていると判断できれば、行かせるというのが僕やGMのヨシ(吉村浩)のスタンスでした。 実際、ダルビッシュもそうでしたが、ファイターズはどんどん選手を外に出しました。ドラフトで指名しても、相手が納得しないならあきらめました。FA(フリーエージェント)でも引き留めなかった。もし、引き留めていたら、大変な選手層になっていたと思います。 でも、しなかった。出たい人たちのためには、そうしたほうがいいし、そうするべきだと考えたからです。挑戦するべきなのです。監督としては、「あの選手がいてくれたら」などと冗談で言ったりしていましたが、選手を出すことに対して、球団に文句を言ったことは一度もありませんでした。 高校時代から、メジャーに行きたいと宣言していた翔平についても同じです。
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