【黒柳徹子】が女優オードリー・ヘプバーンを通して「知ったこと」を語る
黒柳徹子さんが、女優のオードリー・ヘプバーンを通して知ったことを語ります。 〈画像〉黒柳徹子が出会った美しい人「オードリー・ヘプバーンさん」
【第26回】女優 オードリー・ヘプバーンさん
たった一本の映画によって、世界中の「美」の基準がひっくり返る。そんなことがあるなんて、今の時代を生きる人には想像できないかもしれません。でも、私が皆さんぐらいの年齢のときには、あったんです。終戦から10年が経とうとする1954年に日本で公開された『ローマの休日』は、それまで私が見たこともなかったおしゃれや、ロマンチックな出会いと別れ……。いろんな夢がぎゅうぎゅうに詰まった映画でした。 ヨーロッパにある某国の王位継承者であるアン王女が、ローマを訪問中、滞在先のホテルをこっそり抜け出し、1日だけ行動をともにした新聞記者と恋に落ちるというお話。それまで私が熱狂したハリウッド映画、たとえば『風と共に去りぬ』には、19世紀のアメリカが舞台なので、ウエストをコルセットで締め上げて、ペチコートを何枚も何枚も膨らませたスカート、肩や胸の周りにはレースやフリルを何枚も重ねるようなドレスが出てきました。しかもその映画は、カラーで、日本公開の13年も前、1939年に作られたものだったんです! 戦争で物資のない時代を経験し、当時ティーンエイジャーだった私は、それを観て、フリルとかリボンとかレースとかビーズとか刺繡とか、そういう美しい装飾に、猛烈な憧れを抱きました。 ただ、『風と共に去りぬ』の世界は、いくら憧れても手が届かないものだったのに、『ローマの休日』は、「これ、今すぐ真似してみたい」というおしゃれの宝庫! しかも、西洋の女性はグラマーでセクシーであることが絶対条件のような気がしていたところに、背が高くて痩せていて、ギョロッとした目の女性が、窮屈だった世界から飛び出して、自由に笑ってはしゃいで、それがとてもキラキラして見えたのです。アン王女が、何か新しいことに挑戦するたびに、一緒になって、「わあ!」とか「まあ!」なんて、ずーっと言葉にできないワクワクやドキドキがありました。 当時は、既成服を売るお店が選べるほどにはなくて、家のミシンで、ファッション雑誌なんかについている型紙を参考に服をつくることも多かった時代です。私も、『ローマの休日』を観て、母に「こんなブラウスが着たい!」なんてせがんだりして、その後も、オードリー・ヘプバーンの映画が公開されるたびに、真っ先に映画館に足を運びました。正直、ストーリーが面白いとは言えない映画もあったけれど、スターとは不思議なもので、その人が出ているだけで、「観てよかった」なんて思えるのです。