共産主義時代の政治犯刑務所 忌まわしい記憶を「遺産」に ルーマニア
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【11月24日 AFP】ルーマニアの首都ブカレスト郊外のジラーバには、かつての共産主義時代の刑務所がある。さびた鉄製の門を押し開けながら、ニクリナ・モイカさん(80)は歴史の重みを感じていた。モイカさんは10代の頃、ここに収容されていた。 1945~1989年の共産主義体制下の犯罪調査を行っている研究所によれば、ルーマニア全土では当時、44の刑務所と72の強制労働収容所に15万人以上の政治犯が収容されていた。ジラーバもその一つだった。 ジラーバは現在も一部は刑務所として使用されているが、敷地内の多くの建物は閉鎖され、取り壊されるか、廃虚と化している。 「残念だ。(ジラーバは)共産主義時代の事実を示している場所なのに。囚人が拷問を受け、ひどい食事と寒さを味わわされ、いかに悲惨な環境に置かれていたかが分かる」とモイカさんはAFPに語った。 ジラーバはもともと19世紀後半にブカレスト周辺の要塞(ようさい)として建設され、その後、刑務所に改築された。1948年から1964年にかけて、大勢の政治犯が過密状態で収容された施設の一つとして悪名をはせた。 かつての監房は、地下10メートルの暗く湿った場所にあった。 「まるで穴の中に入っていくような気分だった」。モイカさんは16歳でここへ連れて来られた時のことを振り返った。クリスマスイブで、霧雨が降っていた。 反共団体に参加したとして1959年に有罪判決を受けたモイカさんは、5年間を獄中で過ごした。ジラーバには数か月間収容されていた。 ルーマニアの元政治犯に関する協会の代表を務めているモイカさんは、ジラーバ刑務所の劣化が進み、忘却のかなたに消え去ってしまう前に博物館にするための運動を長年続けてきた。 共産主義時代のルーマニアの刑務所で、民間資金で博物館に改築されたものは今のところ2か所しかない。 そのうちの一つが、ブカレストから車で2時間の場所にあるピテシュティ刑務所博物館だ。昨年、歴史的建造物に指定され、年間約1万人が訪れている。 建物に入ると天井から、当時の被収容者の顔写真が多数つるされている。ここでは、600人以上の学生が拷問を受けた。中には、後に拷問する側に回ることを余儀なくされた人々もいた。 ■ようやく世界遺産申請へ 政府はようやく重い腰を上げ、ピテシュティを含め5か所の旧刑務所について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産登録を目指し、申請に乗り出した。 2014年にピテシュティ刑務所博物館を立ち上げたマリア・アクシンテさん(34)はその動きを歓迎しつつ、政府の対応は遅過ぎるとして、過去の問題に対する「無関心と無理解の表れ」だと批判した。 物価高騰が続くルーマニアでは、共産主義時代を懐かしむ風潮も強まりつつある。 最近の世論調査では、共産主義体制は「ルーマニアにとって良かった」とする回答が1100人のうちほぼ半数(48.1%)に上り、10年前より3ポイント増加した。 共産主義政権を率いた独裁者、故ニコラエ・チャウシェスク元大統領の誕生日を祝い続ける国民も少なからず存在する。 モイカさんは、地元の高校でルーマニアの共産主義体制について語り継いでいる。生徒から、「共産主義時代の方が暮らしは楽だったとママがよく言っていました」と聞くこともあるという。 そんな時にモイカさんは「おじいちゃんに聞いてみてごらんなさい」と答え、ジラーバの「監房の悲惨さ」について話をしている。 映像は2月撮影。(c)AFPBB News