いよいよ30代に突入した山崎賢人!「キングダム」や「ゴールデンカムイ」、『斉木楠雄のΨ難』で磨いてきた独自の存在感に迫る
「ありえない」を「ありえる」にする。いや、もっと「平然と目の前に存在させる」。それが山崎賢人という俳優だ。 【写真を見る】山崎賢人が現代に生きる忍者という「ありえない」モチーフを人間的リアリティを持って演じる『アンダーニンジャ』 と書き始めたところで、最新のニュースが飛び込んできた。花沢健吾による連載中の漫画「アンダーニンジャ」の実写映画化作品に主演するという。特報映像(があるということはほぼ完成しているのだろう)を見る限り、現代忍者という「ありえない」モチーフを生身の肉体で「ありえる」に変換させている。それはもはや驚くべきことではなく、山崎賢人ならば当然、と納得させるだけのパワーがいまの彼にはある。 ■漫画原作のキャラクターを「平然と目の前に存在させる」芝居力 この実現は、山崎が稀有な活劇的身体を有し、それに相応しい鍛錬を欠かさない…という次元にはもはや留まらない。特報映像の最後に添えられた忍者とは思えない気怠い風情のリアライズこそが、人物を「平然と目の前に存在させる」芝居力の証明である。私のような原作未読の者が見ても、どのようなキャラクターなのか瞬時に体感できる人間的リアリティが備わっている。 『アンダーニンジャ』の監督、福田雄一とは3度目の顔合わせだが、思えば両者の初邂逅作『斉木楠雄のΨ難』(17)はヤバかった。極めてマイペースな超能力高校生の、ほぼモノローグで進行する物語を、山崎は完璧に演じのけた。ああしたナンセンスは漫画やアニメならば成立もするが、こと実写ではスベる確率が非常に高い。しかし、山崎はやはり「平然と目の前に存在させる」ことができていた。おそらく原作、以前に漫画メディアに対する理解力が半端ないのである。 現代映画において漫画の実写化は、今後のメディア存続を支える最重要課題の一つであろう。そこでは絵をいかに「置き換えるか」が最初の難関となる。一時期、完コピというフォームが流行った。しかし、それは単に「プロがやるコスプレ」でしかなく、茶番でしかないものが大半だった。 山崎は、彼の映画をあまり観ていない人にとっても「漫画原作が多い俳優」と認識されている。ではなぜ、彼なのか。それは「置き換え」能力に優れているからである。 ■どこまで人間として「そこにいることができるか」を追求する地道なアプローチ 当たり役と言っていいメガヒットシリーズの第4作『キングダム 大将軍の帰還』(公開中)を観ても、主人公の信を体現する山崎の神通力は只事ではない。大沢たかお扮する大将軍、王騎のバトルステージがメインディッシュとなる本作で信はおもにそれを目撃し、見届ける役どころだが、「見る」という行為だけで、キャラクターのアイデンティティを表現し、揺らがぬ核として作品を支えている。 人柱(ひとばしら)、という表現が正しいかどうかはわからないが、山崎には我が身を捧げ、作品を下支えする聖なる腕力を感じる。綺麗なスタアでありながら、牽引するというよりは、キャスト・スタッフの支えとなって作品のクオリティを高めていく地道な尽力がそこにはある。 だから、漫画を実写に「置き換える」際も、派手なパフォーマンスではなく、どこまで人間として「そこにいることができるか」という地味な挑戦に心を砕いているように見受けられる。 ■どんなビジュアルのキャラクターも「すぐそばにある」と感じさせる感触 端正なルックスを逆手にとる術にも非凡さがある。ビジュアルの美しさを際立たせるのではなく、「誰にでもなれる」汎用性の土台として活用している。Netflixの「今際の国のアリス」シリーズ然り、いままさにシリーズ化が始まったばかりの「ゴールデンカムイ」然り。初々しさも、不死身感も、特殊なものとしてデフォルメするのではなく、「すぐそばにある」感触が優先されている。だから、彼の表現は絶対にコスプレには陥らない。たとえ、どんなにメイクや衣装を漫画に寄せていたとしても、だ。 漫画の人物を「身近」に住まわせる。この説得力は、小説原作の場合も同様で、又吉直樹の『劇場』(20)では無精髭の面構えで、プライドばかりデカい卑小なアーティスト志望青年のちっぽけな狂気を見せた。観客によって不快に感じたり、愛おしく思えたりもする多様な人格形成は「もし、この人物が私たちのすぐそばにいたら?」と考えさせるほど、自然だった。 ■虚構の人物にまとわせる不思議な親近感 こうした山崎のありようの近年の達成の一つに『陰陽師0』(24)が挙げられる。これは漫画原作というよりは、かつて野村萬斎によって演じられた安倍晴明の若き日の姿=エピソード0なのだが、萬斎の上半身のブレのなさに最大限のリスペクトを捧げながら、その体躯で観る者を圧倒するのではなく、「あの晴明もこうだったのかもしれない」と思わせる人間的リアリティを醸成している。明らかに特別な能力と魅力にあふれたキャラクターであるにもかかわらず、遠い存在として演じず、「そばにいる」ニュアンスの「身近」なテクスチャで、「平然と目の前に存在させている」。 虚構の人物はある意味、全員高貴である。だが、山崎が表現すると、不思議な親近感が湧く。なんとなく近づいてきて、いつの間にか「そこ」にいる。彼の芝居には得難い魅惑がある。 奇しくも『キングダム』第1作が公開されたのは令和が始まる直前、2019年4月19日だった。いまや令和の映画スタアと呼んで過言ではない山崎賢人は、彼にしか歩めない道を、類稀なる献身と共に進んでいる。9月7日に、彼は30歳になった。輝ける30代、今度はなにを見せてくれるのだろう! 文/相田冬二 ※山崎賢人の「崎」は「たつさき」が正式表記