最大派閥の無責任体質はどこから来たのか 解体状態の安倍派、ちらつく森元首相の影【裏金政治の舞台裏③】
そこへ変化をもたらしたのが森氏だった。小渕恵三元首相が急逝し、2000年に森政権が発足した。以降は森氏、小泉純一郎氏、安倍晋三氏、福田康夫氏の4人が続けて首相に就任し、主流派に躍り出た。森氏が後見人として支えた小泉政権は経世会支配からの脱却を目指し「自民党をぶっ壊す」と訴え、05年の郵政選挙で最大派閥の座を奪い取った。 安倍元首相が22年7月に銃撃されて死去すると、森氏の安倍派への影響力はさらに増した。座長の塩谷氏をはじめとする派閥の集団指導体制は5人組が森氏と水面下で相談して決めた。 月刊誌「文芸春秋」のインタビューで森氏は5人組の依頼を受け、塩谷氏に議員辞職によって安倍派の裏金問題の責任を取るよう説得まで行ったことを明らかにしている。「全責任をとるので仲間を救ってください、と(首相に)申し出れば、君は立派だと光り輝くよ」と説得したが、塩谷氏は納得しなかったという。 一方、森氏は今回の裏金事件のタイミングと前後して都内の介護施設に入居した。外部と連絡が取れなくなると周囲に伝えたことが広まると「特捜部の動きに先手を打って雲隠れか」と臆測を呼んだ。というのも森氏が清和政策研究会の会長を務めていた05年に「派閥パーティー券の販売ノルマの超過利益を議員に還流していた疑いがある」と共同通信が報じているからだ。裏金の源流を知っている重要人物とみられていたのである。
4月の自民党処分で塩谷氏は離党に追い込まれ、松野氏は党役職停止1年の処分となった。岸田首相は4月初旬に森氏に電話して、形だけの聞き取り調査を行ったが、責任は問わなかった。 そして森氏は現在、安倍派メンバーと面会や会食を重ねている。会食に出席した議員によれば「森先生は自分の息のかかった議員を中心に据えたい思いがある」といい、萩生田光一前政調会長や福田達夫元総務会長らの名前を挙げた上で、党総裁選に向けてまとまって動くよう働きかけているという。 7月の東京都議補選で自民党が2勝6敗と大敗すると、安倍派の大西英男衆院議員から「首相は辞職し、9月には新しい総裁を選ばなければならない」と岸田降ろしの声が上がった。ある政権幹部は「岸田首相はあのとき森氏に直接会って、離党を突きつけるべきだった」と嘆息した。