最大派閥の無責任体質はどこから来たのか 解体状態の安倍派、ちらつく森元首相の影【裏金政治の舞台裏③】
新聞の1面やテレビのトップニュースには連日、関連記事の見出しが躍った。「キックバックは10人以上か」「安倍派議員複数1千万円超か」「安倍派議員の秘書らも聴取」 塩谷氏は改めて事実関係を記者団に問われても「精査する」と述べるにとどめた。普段は温和な表情がこわばった。地検の捜査が進むにつれ、本当のことを言ったがために「戦犯扱い」となる懸念が膨らんでいたからだ。 4カ月後、塩谷氏は自民党処分で最も厳しい離党勧告を受けた。異議を申し立てたものの退けられた。 ▽スポークスマンのだんまり 安倍派の事務総長経験者だった松野博一官房長官(当時)も核心を知り得る一人として矢面に立った。1日2回の記者会見では「答えは差し控える」と、金太郎あめのように同じコメントを繰り返し、鉄仮面のように表情を崩さずに対応した。 そもそも松野氏は政治家には珍しい「前に出ないタイプ」。2020年に出版した著作「導き星との対話」は松野氏が有識者にインタビューする内容で、自身の信条を語る記述は少ない。政府スポークスマンとして「自分は霞が関の想定問答を超えない」ことを信条とし、裏金問題でもノーコメントを貫いた。
だが、官房長官の重要な役割は政権の危機管理だ。裏金事件へのだんまり対応は結果として「何も説明しない岸田政権」の像を形づくり、国民の深刻な政治不信を招いた。 5人組の不起訴が決まった後、松野氏は「最も事情を知る捜査機関が嫌疑なしのシロと判定した。これで批判は収まっていくだろう」と楽観論を周囲に語った。ところが、意に反して政治責任の追及はやまなかった。 1988年に発覚したリクルート事件を知る石破茂元幹事長は、早い段階から「検察に立件される前に自浄作用として、各派閥の責任者は実態を説明すべきではないか」とくぎを刺していた。 ▽雲隠れしたドン 窮地に立たされた安倍派幹部がすがったのは森喜朗元首相だった。5人組の名付け親だ。 背景には、安倍派の歩んできた歴史がある。安倍派(清和政策研究会)は今でこそ主流派だが、1978年に福田赳夫氏が首相退任後、長らく首相を輩出できずにいた。田中角栄元首相の田中派や、流れをくむ竹下登元首相の経世会が最大派閥として影響力を誇り、その支援なしでは総理総裁にはなり得ないとまで言われていた。