レーサーレプリカブームの最中にヤマハが放った、「アンチレプリカ」の旗手SDR
レーサーレプリカブームに限ったことではないが、何かひとつのブームに大きく偏るのは日本人の特徴のひとつ。そんなブームに流されることなく、ヤマハが持てる技術や優れたデザイン性を盛り込んだSDRは、誕生から30年以上が経過してもその独自性が色褪せていない。 【画像】ヤマハ・SDRと関連画像をギャラリーで見る(21枚) 文/Webikeプラス 後藤秀之
レーサーレプリカでも45PSでもないが、速いバイクSDR
1980年代のバイク業界の主役と言えば、1985年に発売されたヤマハ TZR250(1KT)と1986年に発売されたNSR250R(MC16)が人気を爆発させたレーサーレプリカだろう。この2台の2ストロークレーサーレプリカは市販レーサーをそのまま公道仕様にしたような装備を持ち、激しい開発競争を行なうことでレーサーレプリカブームというひとつの時代を築いた。この時代のバイクのメインユーザーは10代の若者であり、アルバイトの時給が1000円に遠く届かない時代に60万円近いバイクをローンを組んで競うように買ったのである。彼らが求めたのはフルカウルのレーサースタイルとスペックの高さであり、バブル経済も重なってメーカーもそれに答えるためのハイスペックマシンを次々に生み出していった。 そんな2ストロークレーサーレプリカ全盛の1987年、ヤマハから一風変わったコンセプトのバイクが発売された。「SDR」とだけ名付けられたそのバイクは、メッキ仕上げのトラスフレーム+トラスアームという車体に195ccの2ストローク単気筒エンジンを搭載し、シングルシートに割り切ったカフェレーサー風のデザインにまとめられていた。このデザインはSRXシリーズの延長線上にあったとも言えるが、トラスフレームの圧倒的な存在感が孤高とも言えるデザインを作り出していた。
当時最新の技術が盛り込まれた2ストロークエンジン
SDRのエンジンはDT200Rのものをベースとしてはいるものの、ワークスレーサーYZR譲りのクランクケースリードバルブを採用することでより鋭いレスポンスを実現。このエンジンの最高出力は34PS/9000rpm、最大トルクが2.8kg-m/800rpmと、初期型のRZ250に迫るスペックに仕上げられた。また、エキゾーストシステムにはヤマハが誇る排気デバイスY.P.V.S.(ヤマハ・パワー・バルブ・システム)を装備することで、全域でのクイックなレスポンスと豊かなトルク特性を実現していた。また、吸気管の途中にチャンバーを設けることで混合気の流れをスムーズにする、Y.E.I.S.(ヤマハ・エナジー・インダクション・システム)を備えていた。さらに、当時はまだ珍しかったフラットバルブタイプキャブレターや、多段膨張タイプのチャンバーなどレース由来の技術が惜しみなく投入されていた。