能登半島地震から1年 妻子を失った男たちの今「あの日、家族が暮らしていた家はビルの倒壊、土砂崩れに巻き込まれた… 」
2024年1月1日16時過ぎ、最大震度7の地震が能登半島を襲った。統計によれば、関連死を含めた犠牲者の数は500人を超える見通しで、99%が石川県に集中している。 【写真】楠さん宅は隣接するビルに圧し潰された 最愛の家族を喪い、失意の中を生き抜いてきた2人の男性。その1年を追った。 ◇ ◇ ◇ 「家が壊れても、お金がなくなっても、生きてさえいれば、やり直すことができる。でも、俺はかけがえのない家族2人を失ってしまったから。もう1年というけど、何年経とうが、妻と長女が犠牲になった事実は変わらない」 居酒屋「わじまんま」店主の楠健二さん(56)は、心のままに言葉を紡いだ。現在、神奈川県の京急川崎駅に程近いビルの地下1階で、“復興”させた居酒屋を営む。 「仕事をしていると気が紛れるからさ、年内は大晦日くらいまで店を開けて、1月1日は輪島に行って、家のあった場所に手を合わせてくる」 24年の元日。輪島市河井町にあった3階建ての自宅兼店舗は、隣接する7階建てビルの倒壊に巻き込まれ、圧し潰された。一緒に店を切り盛りしてきた妻の由香利さん(当時48)、川崎市から帰省していた看護専門学校生の長女の珠蘭さん(当時19)が命を落とした。 ビルの倒壊直後、家から投げ出された楠さんは、愛犬ニーナの鳴き声で意識を取り戻した。身体の痛みも忘れ、倒れていた次男と次女を瓦礫の中から引っ張り出す。ビルと家屋に挟まれて身動きが取れない由香利さんと珠蘭さんも、この時点ではまだ生きていた。 「救助が来た時は、心の底から『助かった!』と思ったんだ。長女は会話もできていたし、女房もまだ息があったから」 だが――。余震が相次ぐ中、二次被害を懸念して救助は一向に進まない。楠さんも「危ないから」とその場から遠ざけられた。2人が救い出されたのは、珠蘭さんが地震翌日、由香利さんが2日後。すでに息絶えた状態だった。その間、ラブラドールのニーナは、3日3晩、悲し気に吠え続けていたという。