「助けて」と言える練習を――重度の障害がある息子と経験した震災、行けなかった避難所 #知り続ける
東日本台風で自宅が浸水被害、それでも遠い存在だった避難所
2019年の東日本台風は、いわき市にも甚大な被害をもたらした。河川の氾濫が相次ぎ、市内全域で8,000軒を超える建物が被災。笠間さんの自宅も浸水被害を受けた。それでも避難所には行かず、当時9歳の誕生日を迎える直前だった理恩さんと家族みんなで車中泊での避難を選んだ。自分自身の力では寝返りも打てない理恩さんを車内でケアするのは、家族にかかる負荷も大きかったが、理恩さんの介護のための設備が避難所に入る壁となった。 理恩さんの医療機器には、大容量の電源が必要となる。また、オムツを交換する時のプライバシーを守る仕切りも欠かせない。こうした配慮が必要な人たちの課題に対応するのが「福祉避難所」だが、笠間さん家族が利用することはなかった。当時のいわき市の運用では一般の避難所を開設し、そこに身を寄せた障害者や高齢者の人数によって福祉避難所を開設するかどうかを判断していたためだった。 また、障害がある子どもは慣れない環境では大声で騒いでしまう場合があり、このことも笠間さん家族に避難所の利用をためらわせた。 「震災の時にも気にしてしまった『周りの目』が、ここでも避難所へのハードルとなっていた。」
“誰一人、取り残さない防災”のために何が必要か
さらにこの時、道路がひざ下まで冠水する中、理恩さんのバギーを動かすことも出来なかった。動けない理恩さんを毛布にくるみ、車に乗せるのが精いっぱいだった。この経験から笠間さんが必要性を強く感じたのが、医療的ケアが必要な子どもたちの避難のための「個別避難計画書」だ。計画書には家族などの連絡先や、災害発生から実際に避難した際の支援まで、具体的な流れが記載される。この計画書を作るため、去年は行政とともに理恩さんが避難所に入る訓練を行い、理恩さんのバギーが避難経路の路面の凹凸で進めなくなることなどを確認した。避難の過程に潜む具体的な課題を事前に洗い出すことで、その課題をあらかじめ解消できるようになる。 もう一つ欠かせないのが、地域の人たちとの関係づくりだ。笠間さんはNPO法人「ままはーと」を立ち上げ、東日本台風の前年の2018年に障害児デイサービス施設「どりーむず」を開いた。自らも介護福祉士の資格を持つ医療的ケア児等コーディネーターとして、看護師や理学療法士、児童相談員などのスタッフとともに、現在0歳から22歳までの計30人を受け入れている。「重心児の笑顔と地域をつなぐ」がままはーとの理念で、孤独になりがちな障害児の家庭と、医療・福祉・行政などの連携を目指している。 出来るだけ多くの人と事情を知る間柄になれれば、避難所で騒いでしまっても理解を得られやすい。かつて笠間さん家族に避難所の利用を思いとどまらせた「周りの目」を気にせずに過ごせるなら、障害者が避難所に入るハードルはぐっと低くなる。