「助けて」と言える練習を――重度の障害がある息子と経験した震災、行けなかった避難所 #知り続ける
「いざとなると…」それでも信じたい地域とのつながりの大切さ
それでも、いざとなると避難をためらってしまうのが現実だ。去年9月、福島県内では初めてとなる線状降水帯が発生し、いわき市は再び大規模な水害に見舞われた。笠間さんは本格的に雨が降り始める前に、どりーむずの利用者らに避難を呼びかけたが、自宅から避難所に移った家庭はなかった。 「痛感した。これだけ言ってもまだ駄目かと。」 そう話す自らも、早めの避難に踏み切ることは出来なかった。日頃から意識を高めているつもりの自分でも、避難行動のハードルはまだ高かった。 その一方で、少しずつだが変化も感じている。理恩さんの避難計画書の作成を進めるために、市の担当職員や地元の民生委員らと会議を重ねたことで、地域の人たちとのコミュニケーションが深まった。民生委員とは世間話もするようになり、ゴスペルの活動に誘われたことがうれしかった。 障害児の親は「この子には私がいなければ絶対だめだ」と考えがちだという。しかし、地域の人に障害児の事情をもっと知ってもらって「私がいなくても、この子は生きていける」と思える関係性を構築できたなら、今度こそ避難をためらわずに済むはずだ。 「私たちには『助けて』と言う練習がもっと必要だ。」 笠間さんは福島から、障害児を育てる全国の家庭にメッセージを発信し続ける。 この記事はKFB福島放送とYahoo!ニュースの共同連携企画です。
KFB福島放送