「言語化の鬼」サッカー解説者の林陵平が東大サッカー部の監督をしてわかったこと
「ノートに書く」ことによって思い出す
見せてもらったが、生活記録は備忘録のようになっている。その日あったことを書きながら自分の姿も思い浮かべる。つまりリフレクションするわけだ。人間、己を振り返ることほど難しいものはない。人としても、解説者としても、ノートで自分を省みながら成長してきたのだ。 林「自分が何年前にどういう考えを持っていたとか、やってきたことって意外と覚えてなかったりしません? でも、ノートに書いたことによって、それを思い出すこともできます。特に解説業はしゃべる仕事なので、その試合を見て何を感じたかなど書いておくと、次につながります」 備忘録とサッカーノートの二つを活用する。サッカーノートには例えばその試合でどういうことが起こっていたか、どんな狙いがあったかを記録しておけば、同じチームもしくは似た展開になった際に「先日の○○戦では……」と重ね合わせて説明できる。その試合のみで観てしまうと解説できることは限られてくるが、実際に自分が観た試合を参考資料にすれば解説内容の厚みは増す。 林「前の試合を理解しておくことによって『この選手は、こないだこうでしたが、今日はこんなふうに変えてきた』と言えるし、視聴者も個人やチームを継続的に理解できます。海外リーグでもJリーグでも、ファンは自分が好きなチームを1年間ずっと追ってるわけです。そのチームの勝敗も、調子の良し悪しも、選手個人の特徴とかを理解しているわけです。そこに解説者が負けてたら駄目だと思っています。観ている人に『こんなに知ってるの? うちのファンじゃない? 』って思われるぐらいの熱量を感じてほしい。解説業にもノートは欠かせませんね」
ジュニアユース時代のノートを読み返すと…
選手時代は戦術や技術的なことも記録したが、こころに残っているのは「そのときどんなメンタリティだったのか」だと言う。Jリーガーになったものの、林さんのサッカーキャリアは実は順風満帆ではなかった。例えば、ヴェルディのジュニアユース(中学生年代)時代は1年から3年までほとんど公式戦に出場できなかった。 林「そのときのノートを読み返すと、苦しかった思い出とともに自分がこんなふうに考えてやってたんだなっていうのを思い出せます。メンタル面とかも書いておくことってすごく重要だと感じますね。どういうふうにそれを乗り越えてきたかとか、そのときはどういう考えだったかとか、書き留めていなければ忘れてしまったであろうことが文字で残っているわけです」 つまり、過去の自分が自分の参考書になるわけだ。ノートは誰かに見せるために書いていたわけではないので、本音がさらけ出されている。ノートを書くことで、選手としての欠点や自分自身と素直に向き合える利点もありそうだ。 林「うまくいかなかった時期にそういったことを書いておいて、自分が成功しているときにそこを読み返しました。すると『まだまだ自分は勘違いしちゃいけない、満足しちゃだめだ』って思えました。逆に試合に出られなかったり状態が良くないときにも、良かったときのノートを見ました。そうすると『俺、もっと自信持ってプレーしてたな』となって。結構どん底だったけど乗り越えたなって自信を取り戻せましたね」