8歳で被ばくした母は7回流産した。核実験場とされたマーシャル諸島出身者が語った被害 サミット控える広島で訴えた「公正な世界」
先進7カ国(G7)のメンバーの米英仏は第2次世界大戦後、世界各地で核実験を繰り返した。島や環礁が点在する太平洋地域は、その核開発競争の「舞台」の一つだ。3カ国で合わせて300回以上の実験が行われた。 住民は土地を追われ、文化を奪われ、放射線被ばくの影響に襲われた。放射性物質で汚染された地域の一部には今も帰れない。被害の全容は明らかになっていない。 2021年に発効した核兵器禁止条約は、被害者援助と環境の回復について規定。昨年の第1回締約国会議を経て、その原資となる基金創設に向けた検討が進む。被害者救済の機運が高まる中、G7サミット開幕を控える被爆地・広島を、米国の核実験場があったマーシャル諸島出身の2人が訪れた。「互いを理解し、核のない公正な世界を一緒に目指したい」。期待を携え初来日した2人を取材した。(共同通信記者=野口英里子) ▽広島原爆約7千発分の威力 マーシャル諸島は日本から約4千㌔以上離れた、人口約4万1千人の小さな島しょ国。「『ボン』という爆音の後、あたりは真っ暗になった。どれほどの恐怖だったか、想像してみて」。5月2日、広島市内の会議室で、エベレン・レレボウさん(42)は約100人の参加者を前に母国について語り始めた。
第2次大戦以前、日本が統治していたマーシャル諸島は戦後、米国の支配下に置かれた。米国は北西部のビキニ環礁とエニウェトク環礁から住民を強制移住させ、核実験場を設置し、1946~58年に計67回の原水爆実験を行った。ビキニ住民は今も避難生活を継続。エニウェトクには実験で生じた核廃棄物の処分場が建設された。 67回の威力を合計すると、広島原爆約7千発分に相当するとされる。影響は実験が行われた環礁以外にも及んだ。ビキニから約180キロ離れたロンゲラップ環礁には1954年3月1日、水爆実験「ブラボー」による放射性降下物が広がった。住民82人は「死の灰」に触れ、吸い込み、やけどなどの急性障害に襲われた。 住民らは2~3日後に米国によって別の環礁に移送され、研究対象となった。米国の「安全宣言」をもって一度は帰還を果たしたが、放射線の影響とみられる病気や流産、死産が多発。1985年、再び故郷を去った。