8歳で被ばくした母は7回流産した。核実験場とされたマーシャル諸島出身者が語った被害 サミット控える広島で訴えた「公正な世界」
▽私たちの手で核廃絶を レレボウさんが来日する数日前、祖母がビキニ環礁出身のベネティック・カブア・マディソンさん(27)も初めて広島の地を踏んだ。G7サミットに合わせて4月25~27日に企画された「ユースサミット」に参加するためだ。 6歳のときに移住した米国の同胞コミュニティーで、母国の文化と歴史の継承に取り組む。昨年は核拡散防止条約(NPT)再検討会議や核兵器禁止条約締約国会議に参加し、核実験の影響は今も続いていると指摘した。 その際、日本から渡航していた被爆者と交流。日本の若者と協力し、核廃絶の運動を引き継いでいってほしいと期待をかけられた。原爆や核実験の直接の体験者が少なくなる中、「私たちの手で教訓を次世代に伝えていかなければいけない」と確信した。関係構築の機会を探っていたところ、G7サミットという好機が巡ってきた。 ユースサミットにはG7を中心に世界から約50人の若者が集まった。その中には、核禁止条約締約国会議に参加した日本の若者もいた。3日間、共に核問題を学び、マディソンさん自身が太平洋地域の「核の遺産」について講義する時間もあった。被爆者の証言を聞き、原爆資料館を見学するなど自らも「ヒロシマ」を学んだ。
平和記念公園を巡りながら「ここで失われた命と、核実験の悲劇に遭った人々のことを思うと心が動いた」というマディソンさん。「日本と非常に強いつながりを感じた。関係を切らすことなく、今後、両国の若者が交流し、核廃絶の方策を話し合える場所をつくりたい」と語り、広島を後にした。 ▽「正義」に思いを巡らせて 広島や長崎の原爆とは別の視点から核問題を見てきたマーシャル諸島出身の2人は、G7サミットや核軍縮の行方についてどう考えているのか。尋ねると、大国への不信感がにじむ言葉が返ってきた。 マディソンさんは被爆地でのサミット開催について「まちは復興したが、その背後には悲惨な歴史があり、今も苦しむ人がいる。そこに大国がやって来て経済やエネルギーなど彼らの問題を議論することに不快感を覚える」と率直に話した。「彼らが核軍縮を議論したとしても、果たして行動に移すだろうか。言葉ではなく、行動を求めたい」
「サミットがあることを知らなかった」と笑ったレレボウさんは、「核兵器は大国が力を誇示するための『おもちゃ』。手放したら、彼らは力を失う。彼らを止めるには、市民の手で平和を願う政治家を生み出すしかない。世紀単位の時間が必要ね」と悲観的だった。 「ニュークリア・ジャスティス(核を巡る正義)とは何でしょうか」。レレボウさんは5月2日の講演の最後、参加者に問いかけた。「マーシャルの子どもたちの答えは『ノー・モア・ボム』。つまり、脅威にさらされない世界に生きることです。みなさんも思いを巡らせてほしい」