8歳で被ばくした母は7回流産した。核実験場とされたマーシャル諸島出身者が語った被害 サミット控える広島で訴えた「公正な世界」
82人の中に、レレボウさんの養母リジョンさんがいた。実験日に8歳を迎えたリジョンさんは生涯で7回流産し、甲状腺がんも患った。2012年に66歳で亡くなった。 マーシャル諸島が独立する1986年、米国が1億5千万ドルを拠出する被害補償基金が創設された。だが、対象はマーシャル諸島側が訴える被害範囲に比べ限定的だった。放射能汚染された土地の除染や質の高い医療の確保といった課題も山積する。「どんな政府も、完全に私たちが経験したことに弁償できない」。レレボウさんが紹介したリジョンさんの生前の言葉が会場に重く響いた。 ▽母の遺志を継いで リジョンさんは世界を回り、被害者救済と核廃絶を訴えた。一方で、差別から守るためか、家族に直接自身の体験を語ることはなかったという。人づてに母の真実を知ったレレボウさんは、その背中を追い、運動に携わるようになった。現在、マーシャル諸島共和国の政府機関に所属し、核実験を知らない子どもや教師に教育啓発する役目を担う。 マーシャル諸島周辺での核実験では、静岡県焼津市のマグロ漁船「第五福竜丸」をはじめ、ビキニ環礁周辺を航行していた多くの日本籍漁船の乗組員も被ばくしたとされる。渡航前、記者に「それぞれの物語を共有し学び合うことで、強いきずなを結ぶことができる」と来日への期待を語ったレレボウさん。今回の来日では、高知県にいる元乗組員や、東京の「都立第五福竜丸展示館」も訪ねた。
レレボウさんを招いた明星大の竹峰誠一郎教授は「G7は核に安全保障を頼る国々の集まり。サミットでロシアや北朝鮮の問題は議論しても、マーシャルの被害は話題にならないだろう。彼女に核問題の現場から語ってもらい、顔の見える関係を築いてほしかった」と、その狙いを語る。 レレボウさんは、15歳のときに広島で被爆した切明千枝子さん(93)とも面会した。何人もの下級生の遺体を火葬したこと、被ばくの影響を恐れて妊娠をためらったこと、85歳になるまでつらい記憶にふたをしたこと…。母の姿を思い起こしながら約2時間、証言に耳を傾けた。別れ際、レレボウさんは切明さんの手を握り「帰国したら、ヒロシマのことを伝える。一緒に頑張りましょう」と語りかけた。 日本での約2週間の旅を終え「マーシャルと日本は、多くの苦しみを共有していると実感した。両国の子どもたちが互いの国を行き来するプログラムを実現させたい」と展望を語った。