「苦しかったからこそ成長できた」長谷部誠、代表主将と独でのプレー 引退会見で両立の難しさ明かす
サッカー元日本代表主将で、W杯3大会に出場した長谷部誠(40)=フランクフルト=が24日、東京都内のホテルで引退記者会見に臨み22年の現役に別れを告げた。今後はフランクフルトのU―21(21歳以下)チームを中心に指導者の道を歩む。将来の目標に「一番上のところ」と監督を掲げた。日本代表では2010年と18年のW杯で16強入りするなど114試合出場2得点。歴代最多81試合で主将を務めた。 【写真】雑誌の撮影ショットに絶賛の嵐 すがすがしい表情だった。黒のスーツに身を包んだ長谷部は「後悔は全くない。大きな満足とともにキャリアを終えられた」と語った。引退の実感はなく「頭は理解しようとしているが、体が今すぐにでもボールを蹴りたいとうずいている」と笑ったが、穏やかな表情には22年間の旅を後悔なく終えた充実感がにじんでいた。 語ることがなかった現役時代の苦悩も明かした。代表主将とドイツでのプレーを両立させていた08年から18年までの時期を「苦しく、しんどかった10年間。2つを両立する難しさを感じた。ただ苦しかったからこそ、人として一番成長できた時期」と振り返った。10年南アフリカW杯の直前に、26歳で代表主将に。11年に出版した著書「心を整える。」がベストセラーとなった影響もあり、理想のキャプテンとして世間に認識された。その中で「代表キャプテンはこうあるべきだ、という理想像を描きすぎていた」と、理想とのギャップに苦しんだ時もあった。 それでも周囲のサポート、そして自らを客観視して環境に適応する力で、たくましく柔軟に乗り越えた。初めてドイツに来た08年。暗く寒い冬に「(契約が終わる)2年半後には日本に帰ろう」と誓った日から17年、サッカーの本場で戦い抜いた。16強で敗れ、代表引退したロシアW杯後には「99%の満足感と、1%の後悔がある」と語った。だが、この日は「苦しい時期も全て意味があった。そういう意味で(満足)100、(後悔)0」と言い切った。 今後は指導者として、新たな挑戦が始まる。ドイツでプロクラブを指揮できる指導者ライセンスの取得までは5年以上はかかる見込みで「多くのことを学んでいきたい。日本なのかドイツなのかわからないが、高いレベルでやれる監督になりたい」と話した。後悔なく締めくくった見事な現役生活を終え、次なる夢へと進む。(金川 誉) ◆長谷部 誠(はせべ・まこと)1984年1月18日、静岡・藤枝市生まれ。40歳。2002年に藤枝東高から浦和へ加入。08年1月にドイツ1部ウォルフスブルクに移籍し、ニュルンベルクを経て14年にフランクフルトへ。ブンデスリーガ通算384試合(7得点)出場は、ドイツ以外の外国人選手としては、ポーランド代表FWレバンドフスキと並び歴代2位の記録。日本代表は06年にデビューし、W杯は10年南ア、14年ブラジル、18年ロシア大会に主将として出場。代表通算114試合2得点。180センチ、72キロ。利き足は右。家族は妻でモデルの佐藤ありさと2子。
報知新聞社