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待ってる場合じゃないやん、攻めないと!――絵本プロデュースにも乗り出したつんく♂が求め続ける「あと一個」

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「あと一個、という気持ち」がずっと続いている――。そう語るのは、シャ乱Qでの活動、モーニング娘。などのプロデュースで、数々の大ヒットを飛ばしてきたつんく♂(51)だ。喉頭がんという大病を乗り越え、50歳を過ぎてなお「まだまだ新人」と、最前線を目指す。芸能界を冷静に見て「次」を探すつんく♂の尽きない意欲の源を探った。(取材・文:ピロスエ/撮影:大江麻貴/写真提供:双葉社/Yahoo!ニュース 特集編集部)

モー娘。の元メンバーと「たまに同窓会ができたら」

つんく♂がかつて総合プロデュースをしていたモーニング娘。(以下、モー娘)のメンバーたちは、グループを卒業後、ソロ歌手やタレントなどそれぞれのセカンドキャリアを歩んでいる。しかし、全てが順風満帆というわけにはいかない。交通事故を起こしてしまったり、選挙に立候補するも落選したりなど、さまざまな元メンバーがいるのも事実だ。そういった人間模様は、彼の目にはどう映っているのだろうか。 「みんな年齢を重ね、親になっていく子も多いなか、彼女ら自身の青春時代、10代での出来事や経験を、いい意味で自分の子どもに自慢できるような人生であったらよいなと思っています。いまのところ、僕も含めてセカンド、サードのキャリアでどういう結果が成功だったのか、というモデルケースのようなものもないですが、まあ、たまにはみんな集まって同窓会とかできたらよいのかもね」 つんく♂がボーカルを務めたシャ乱Q は、1990年代、「シングルベッド」「ズルい女」などのミリオンヒットを飛ばし、紅白歌合戦出場、大阪ドームでのライブなど、華々しい成功をおさめていた。当時、絶頂の中にいたつんく♂が挑んだのが、バラエティー番組『ASAYAN』(テレビ東京系)から生まれたモー娘のプロデュース業だった。 「モーニング娘。のデビュー(1997年)から4期メンバー加入(2000年)あたりまでの怒涛感と、そのあとの2年間くらいは本当に忙しかったですね。オーディションから生まれて、グループのメンバー数を増やしていくという神がかったこの流れも、単に頭をひねっただけでは生まれてこない流れなので、神様のプレゼントというか、そういう出来事だったように思います。まあもちろんその分、ラッキーだけでは済まない試練というか、地獄のような忙しさと責任感に包み込まれていくわけですが」 1999年にモー娘の「LOVEマシーン」が大ヒット。派生ユニットのタンポポ、プッチモニ、ミニモニ。、さらにソロの松浦亜弥などが相次いでデビューし、アイドルの集合体・ハロー!プロジェクト(ハロプロ)が形成されていく。つんく♂はそれらのプロデュースも、ほぼすべて担当していた。 「どんな曲にするかとか、衣装やジャケットを考えていって、かぶらないように振り分けて。さらにその中でシャッフルユニット企画もあったりとか。まるでテトリスをやっているような感じもありましたね」

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