館山城跡描いた絵図発見 発掘調査などの裏付けにも期待(千葉県)
江戸後期~明治初期に描かれたとみられる、館山城跡の様子を示す絵図「安房州里見氏城址(じょうし)」が、兵庫県立歴史博物館(姫路市)で見つかった。館山城跡に関する絵図や文献は残っておらず、城跡を示す絵図が確認されたのは初めて。写した絵図のパネルを、館山市立博物館本館の歴史展示室で展示している。 兵庫県立歴史博物館に個人から寄贈された15枚の城絵図の中に、館山城跡のものも含まれていたことから、中央大学政策文化総合研究所の共同研究グループと、グループの客員研究員である館山市立博物館の宮坂新学芸係長が調査した。 館山市立博物館によると、里見義康、忠義の2代が居城とした館山城は、1614(慶長19)年に忠義が安房国の領地を没収された際に破壊された。当時の文献や様子を伝えるものは残っておらず、昭和初期には軍事施設化されたことなどで地形も変えられたことから、里見氏時代の使用状況については不明な点が多い。
今回新たに確認された絵図は、縦40・2センチ、横50センチの和紙に描かれていた。左側に館山湾、中央に館山城跡を配し、館山藩稲葉家の陣屋も確認できる。この陣屋があった時期から、絵図は1791(寛政3)年から、廃藩となる1871(明治4)年の間に描かれたものと推測されるという。 これまでの発掘調査で、本丸ではないかとされていた場所と、絵図の本丸が一致している点や、現在も残る千畳敷が確認できること、軍事施設化で7メートルほど削られ、現在は低く広くなっている山頂が狭く高い場所にあることなどから、館山城跡の絵図としての信ぴょう性が高く、従来の言い伝えや発掘成果の裏付けとなる貴重な発見といえるという。 宮坂さんは「城郭研究者への研究依頼や、発掘調査の成果などと照らし合わせることで、今後新たな発見もあるかもしれない。城山公園は、現在は市民の憩いの場や観光地としてなじみがあるが、かつては館山城があった史跡であるということも再認識してもらえたら」と話している。