元巨人左腕・池田駿が難関国家試験に合格 野球は「戦士」公認会計士は「魔法使い」?
【ゲームし放題? 自由な池田家】 ーーきちんとした「文」と「武」の切り替えは、中学生の時も? 小学3年で野球を始めて、中学生でも軟式野球をやっていましたが、数人風邪を引いたら試合ができないような少人数チームでした。全然試合に勝てませんでしたし、僕自身も全然すごい選手じゃなくて、スポーツ推薦で高校へ行くという話もなかったので、勉強も一生懸命にやっていました。もともと勉強は嫌いなほうではなかったので、両親からも「勉強しなさい」と言われたこともなかったですし、気づいたら自分でやっている感じでしたね。 ーー池田家は放任主義だったんですか? 基本的には自由でした。たとえば、ゲームをしていたら、普通は「そろそろやめなさい」とか「ゲームは1日○時間まで」とか言われたりするじゃないですか。だけど、夜遅くまでゲームをしていても、何も言われなかったです。勉強も野球もちゃんとしていたから、任せてもらえていたというのはあると思いますが。 ーー小さい頃からずっとゲームが趣味だそうですね。 『ドラクエ(ドラゴンクエスト)』とか『ファイナルファンタジー』とか王道のRPGが好きで今もやっています。だんだんレベルを上げてボスキャラを倒すのがめちゃくちゃ好きでやめられないです。 『ドラクエ』っていろんな職業があるんですよ。途中で「転職」というシステムもあって、転職するといったんレベルは下がるんですが、職業ごとのレベルを上げていくとステータスやスキルをアップできるんです。僕の人生に当てはめると、イメージ的には野球は戦士っぽいですし、公認会計士は魔法使いですかね(笑)。
【甲子園で3試合登板の活躍】 ーーさて新潟明訓高では夏の甲子園に出場しベスト8に進出しました。高校入学当時から甲子園、さらにはプロを目指していたんですか? 僕の兄も野球をやっていて、新潟明訓で4番を打っていました。何をやってもセンスがいい、運動神経バツグンの選手だったんです。そんな兄に憧れて同じ高校に入ったんですけど、僕は入学当初、全然すごい選手じゃなくて。その頃、将来は学校の先生になりたいと思っていたので、筑波大学の教育学部を目指していました。 ーーでは高校でも野球とともに勉強も頑張っていたんですね。 新潟明訓では理数コースにいて、勉強は頑張りました。学年に540人くらい生徒がいたんですけど、模試で一度5位をとったことがあって。その時は正直、よくできたなと思いました。 ーーいつ頃、勉強から野球へ切り替わっていったんですか? 高校2年の秋頃から、いい感じに投げられているな、と。 ーーそして、甲子園へ。 高校3年の夏は2枚看板で、左投げの僕ともうひとりの右投げの投手がいました。新潟県大会ではもうひとりの投手が活躍して、野手たちもすごくうまかったのもあって、甲子園へ行けたんです。 僕は、甲子園で3試合を投げさせてもらって、それが大きな自信になりました。そのあと、国体や高校の日本代表にも選抜してもらって、野球がさらに楽しいと思えるきっかけになりました。