それぞれの行く末を巡る人間関係の変化と避難所のよい影響【河原小避難所】
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熊本地震で避難所となった熊本県西原村の河原小学校の体育館では、約90人が生活している。被災から2カ月半、その大半が高齢者となっていた。それも一人暮らしや夫婦世帯が多いのが特徴だ。 「若者や家族連れは、自宅が少々、壊れていても帰宅したり、とりあえず一時入居できる物件を見つけたりして、生活を取り戻しつつあるが、お年寄りは、生活への不安が大きく、そう簡単ではない」と避難所総括の堀田直孝さんは話す。
それぞれの「行く末」を巡り、人間関係に変化も
前回取材で出会った80歳代の女性もまだ体育館で寝泊まりしていた。隣町に住む息子も手伝ってくれて、自宅も片付け、「暮らせないことはない」という。しかし、斜面に建つ家の敷地の一部が崩落の危険性があり、「何かあったときに、一人暮らしでは逃げ出せるか不安」と、帰宅する決断ができないという。 ある80歳代の高齢夫婦の自宅は本震の際に地盤に約70センチもの段差ができ、自宅は「全壊」と認定された。仮設住宅への入居も決まったが、同じ場所での自宅の再建は難しく、仮設住宅の入居期限の2年後を考えると、展望が描けない。「明治時代から代々、住んできた自宅は、林に囲まれ、夏も涼しくて……。年寄りだから、新しい場所で暮らすのは難しい」 避難所では、今後のそれぞれの「行く末」を巡り、人間関係が難しい状況も生まれていた。ある女性が「仮設住宅に当選して、暮らしのめどがついた」と明るく話すそばで、ほかの女性は目を伏せた。自宅が「一部損壊」のため、公的な助成はなく、修理のことなどを考えると夜も眠れないという。
避難所の生活が与えたよい影響
一方で、「予想外」の喜ばしい変化も出ていた。 認知症を患う高齢者数人が避難所暮らしを続けているのだが、この2カ月間、地震前よりも、全員の症状が落ち着いているというのだ。 ある60歳代女性は村外在住だが、一人暮らしの母親の認知症が心配で、ともに寝泊まりしていた。通常は、たまに女性が実家に通ったり、デイサービスを使ったりしており、被災後、症状が悪化したら高齢者施設への入居も検討していたが、体育館で他のお年寄りと共同生活を過ごす母の表情は日々、和らいているという。 女性が仲間を作りやすかったのは、体育館後方に、「おしゃべりスペース」が設けられたからだ。ボランティアで行われる針治療を待ったり、入浴から帰ったりした際、自然に10人前後が集まり、おしゃべりが始まる。 「避難直後は余震などを恐れ、不安定な状態だったが、今は、たくさんの友達ができて、いつも誰かと話している。私と話す暇もないくらい」と女性。 ほかの認知症女性の親族も「自宅に戻ったら、また夫婦二人暮らしの単調な生活になってしまうかもしれない。避難所生活での知恵を生かして、ご近所さんともっと交流ができる環境を作っていきたい」と話す。