小松菜奈×松田龍平、あの世とこの世の境を彷徨う映画『わたくしどもは。』に見出した景色とは?
インタビュー 俳優、映画監督、ミュージシャン、作家、アーティストなど、映画、音楽をはじめたとしたカルチャーを作り出す人たちにインタビュー。 海外で先行する評価を追うように、新潟に拠点を置く映画作家、富名哲也の輪郭が日本で明確になりつつある。イギリス、ロンドン・フィルム・スクールで映画を学んだ後、2013年に発表した岸井ゆきの主演の短編『終点、お化け煙突まえ。』が第18回釜山国際映画祭の短編コンペティション部門に選出。2018年に発表した長編初監督作品『ブルー・ウインド・ブローズ』は第68回ベルリン国際映画祭ジェネレーション・コンペティション部門とBerlinale Goes Kiezに選出されるもコロナ禍で延期となり、昨年末からようやく上映が始まった。そして5月31日に公開される長編2作目『わたくしどもは。』をもって、生者と死者が分け目なく溶け合う彼の幻想的な世界観が全貌を表す。 わけあって心中という道を選んだ男女が、佐渡島で再会し、再び強烈に惹かれ合っていく。主演の小松菜奈と松田龍平に、富名監督の独特の世界観に没入した体験を聞いた。
――『わたくしどもは。』は時系列が明確にされず、過去なのか、現在なのか、それとも複数の時代を行き来しているのか、不思議な感触に包まれる世界観になっています。富名哲也監督のオリジナルストーリーですが、脚本を読んだ時の感想を教えてください。
小松菜奈(以下、小松) 台本を読んでいて、場面に応じて、私が演じた「ミドリ」という人物は生きているのか、それとも、亡くなっているのか、どっちなんだろうと迷う箇所がありました。演じながらも、ここの時系列では生きていて、ここではおそらく違うんだろうなとか、観客に向けていろいろとトリックが仕掛けられている脚本であることがおもしろいなと。後半、龍平さんが演じる「アオ」とバイクで疾走する場面が出てきますが、ここも生きているふたりにも、魂としてあの世とこの世を行ったり来たりしているようにも見え、いろんなとらえ方ができると思う。 松田龍平(以下、松田) 冒頭にミドリとアオが心中シーンがあるんですけど、以前出演した、近松門左衛門の『冥土の飛脚』をベースにした舞台『近松心中物語』(2021年)のようなふたりだったんじゃないかと想像しました。300年くらい前の男女の姿を描いた作品なんですけど、いまの男女の形と通じるというか、考えていたことはいまとそんなに変わらないんじゃないかな、なんて思ったりして。江戸時代、心中が世に流行ったのは、享保5(1720)年に近松門左衛門の人形浄瑠璃『心中天の網島』の大反響を受けてだそうですけど、佐渡島ではその3年後に最初の心中事件が起きている。そこから島内では心中が流行ったそうです。そういう背景に対して、以前は自分が想像もつかないような男女の形があったんだろうと思っていたけど、『近松心中物語』を体験したことで、愛するがゆえの嫉妬だったり、愛を貫くための死に向かう感情は、いまも昔も変わらないなと思うようになって。 小松 富名監督の衣装の見せ方は繊細でした。たとえばミドリは心中した後、死後の世界の佐渡島で清掃の仕事を始めるのですが、その仕事着や、休日のワンピース姿などに「こういうことを象徴させるがための衣装を考えたい」と話されていて、衣装合わせの打ち合わせからこだわりがすごかった。さっき龍平さんが話された冒頭の心中での衣装も、ふたりの黒い服の布地の模様から、差し色として入る赤の見え方や、足がどれだけ見えると美しいシルエットになるかなど、細かく計算されて作られている。そのすべてが、異世界へと入る装置として作られているところが素敵だなと感じます。 松田 富名監督とあまり脚本の話はしなかったし、わからないところは多かったんですけど、自分なりに想像してその都度発見があるのがとても楽しかったです。演じていく中で「人が生きている世界と、死の世界の真ん中にあるところの物語」なんじゃないかと思って。この映画は言葉が多い作品ではないから、そういうイメージを先に知ってから観ても、楽しめるんじゃないかと思います。小松さんの演じるミドリは自分の名前も忘れてしまい、奇妙な世界にいることに戸惑っているんだけど、僕の演じたアオは自分が死んでいることを分かっているようなところがあって。そんなふたりの再会が不思議な空気感で描かれていておもしろかったです。